自尊心ゼロの人生をチューリップが洗い流してくれた話
どうも、こぶたです。
車椅子ユーザーのパートナーの会を主催したり、ウィルチェアファミリーの代表をしたり、発達障害を持つママたちの会を主催したり、たまに絵本冊子を作って売ったりしています。
車椅子ユーザーのパートナーであり、自身も多様なマイノリティの中に生きています。
そんな私の経験から得たものを、みなさまに少しだけお届けできれば幸いです。
自己否定
私は自分が嫌いでした。
いつも間違いのくじん引いてしまい、叱られ、ダメなやつだと言われ、キモイと言われ、なんか変なやつだなと言われてきました。
親にさえ「可愛くない、ごめんね産まなければよかったのにね。」と言われ
生まれてきたことは間違いだったと思って生きてきました。
「私は社会不適合者だ。この社会に馴染めないから自分に合う場所に生きたいのに、どこに行っても地球上で生きる限り、私は社会に属さなければならない。なんで生まれてきてしまったの?」
はじめて手首に包丁をあてたのは10歳か11歳の時でした。
私くらい自尊心低くなると、「私なんかの汚いのを処理させるのは申し訳ない。」
って思って脱毛にも行けないし
「私なんかが着飾っても
公害になるだけだから。」
と思って成人式や結婚式もできません。
「私が化粧すると周りに迷惑がかかるから。」
と化粧もしなければ、
「私みたいなのがお洒落したいなんて気持ち悪いって思われるに違いない。」
そう思ってしまい、アパレルショップに立ち寄ることも出来ませんでした。
だからいつもメンズのパーカーにジーンズ、足元は安いスニーカー。髪は安い昔ながらのパーマ屋でおカッパに切りそろえてもらい、いつもすっぴんでした。
幸せはいつも自分の心が決める?!
実は、そういう考えでいると
自分を評価してくれる人を
自ら遠ざけてしまいます。
「笑顔が可愛いね。」
と言ってくれる人に対して
「何言ってんだろうこの人、おかしいのかな?」
って思ってしまい、逆に
「バカ、ブス、クズ。○ね!」
と言ってくる人を信じてしまうようになっていました。
よく、「幸せはいつも自分の心が決める」と言いますが
きっと、そういうことなんでしょう。
花と私
自分みたいな人間にはお花なんて似合わないから、お花が可哀想に思えて、私はずっと花が嫌いでした。
お花をもらうと、自分とのコントラストがあまりにも強く、自分が惨めに思え、とても憂鬱でした。
キレイで明るく、のびのびとした花たちと、惨めで暗く閉ざされた私。自分のみすぼらしさが強調されることが、とても怖かったのです。
夫がいつだったか子どもにこう言いました。
「ママは花で喜ばないタイプだからやるならお菓子か物の方がいいんだよね。」
ショックだった反面その通りで、なぜか悔しくて、なぜか後ろめたくて。
その時は下唇を噛み締めました。
出会い
だけど40を過ぎてある時初めて、ある花を見て
「素敵だな、欲しいな。」
と思ったのでした。
私はその事にとても驚き、戸惑いました。どうしようかと悩みました。
カートに入れたり出したり、しばらく悩み、思い切って購入ボタンを押したのが、よねだ農園さんの染めチューリップでした。
届くまで、ワクワクする反面、
ちょっと怖い気がしました。
喜べなかったらどうしよう?
だけど、フラワーベースを用意して、インターフォンがなるのを心待ちにしていて、
箱を開けるのが楽しみで
「わぁ」
本当に素敵だなと思えたのでした。
夫に見せて、子どもに見せて
一番よく見える場所に飾りました。
「私もう、お花を愛でてもいいんだ!」
そう、嬉しく思えました。
ありがとう米田農園さん、
私に自由をありがとう。
長い長い呪縛が、解かれたような気持ちでした。
そうして届いたお花は、
朽ちる様まで見事に美しく
「みんな、生きてるだけで十分輝いてて美しいのだよ。ありのままで十分美しいのだよ。」
それを忘れず胸にして
堂々と生きて行けば良いと
花が教えてくれたような気がしました。
このnoteは、
そっと誰かを岸に押し上げたいこぶたが人生の中で気づいたこと、感じたことを綴っています。
人生は終えるまでは続いていくから失敗してもきっと大丈夫。
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