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【新刊先読み】上野千鶴子が社会と人生を問う『こんな世の中に誰がした?』

1月24日発売の新刊『こんな世の中に誰がした? ~ごめんなさいと言わなくてもすむ社会を手渡すために~』(上野千鶴子著・光文社刊)より、「序章」全文を抜粋してお届けします。

東大スピーチから三年。上野千鶴子が東大祝辞で言いたかったこと


  わたしたちは今「安心して弱者になれない社会」で生きています。失業して生活が苦しくても、結婚した夫に暴力をふるわれ「出ていけ!」と怒鳴られても、その人たちが救いを求めることを躊躇するような社会です。
 自分の身に起きたことはすべて自己決定・自己責任。だから仕方がない、と誰にも相談せずに問題をひとりで抱えこんでしまいます。困っている人をさらに追い詰めるような「自己決定・自己責任」という言葉は、二〇〇〇年代に政治家が好んで使い、広く社会に浸透しました。
 この社会では、誰もが競争からふりおとされないようにと必死ですから、他者を思いやる余裕がありません。そして手柄をあげた人はすべて自分が努力した結果だと考え、手柄をあげられなかった人はすべて自分が努力しなかった結果だと自分を責める傾向があります。
 けれど本当に、人生は努力でどうにかなるものでしょうか。あなたは不当な扱いを受けたり、理不尽な目に遭ったりすることはこれまで一度もなかったでしょうか。そのときに抵抗できなかったり、くやしさを呑みこんだりしたことはなかったでしょうか。また努力しようにも力が出なかったり、力尽きたことはないでしょうか。
 わたしは若い頃からずっと世の中の理不尽に直面して、「こんな世の中に誰がした?」と問い続けてきました。思いどおりにならないことがいくつもあったからです。「こんな世の中に誰がした?」と上を見たら真っ黒けのオジサンだらけでした。ものごとを決める場所にはオジサンしかいないことを思い知りました。だからオジサンたちをめがけて石を投げました。本物の石を投げました。でもそんなことで世の中は変わりませんでした。

女の不幸の原因は社会構造にあった


 わたしは主婦研究者として出発しました。主婦研究者とは、「主婦をやりながら研究をしている人」のことではなく、「主婦」を研究対象とする研究者のことです。なぜって、わたしの母が、夫の顔色を窺う不幸な専業主婦だったからです。「主婦ってなあに、何する人?」と問いを立てたら、奥行きが深くて研究にのめりこみました。
 驚くのは、この二人が恋愛結婚だったということです。お見合い結婚が主流だった時代に、彼らは恋愛をして結婚したのに、夫婦仲がよいとは言えませんでした。
 家父長制下の結婚は「夫であるオレサマを最優先しろ」というシステムです。両親はそこにピタッとハマっていました。母はよく「自分に男を見る目がなかった」とこぼしていましたが、一〇代の頃、わたしは両親をじっと見て、「お母さん、夫を替えてもあなたの不幸は変わらないよ」と思うようになりました。母の不幸の原因は男の選び方の問題ではなく、社会構造の問題だと気づいたからです。思えば父も母も、とくべつに性格が悪いわけではない、ふつうの日本の庶民でした。
 そして研究者になったとき、この課題に取り組みました。それから一〇年かけて書いたのが『家父長制と資本制 マルクス主義フェミニズムの地平』(岩波書店、一九九〇年/岩波現代文庫、二〇〇九年)です。
 本書によって、女性を不利な立場に追いやる構造的なしくみをあきらかにすることができました。
 この三〇年間で、結婚してもよいしなくてもよい、子どもを産んでもよい産まなくてもよい、フルタイムで働いてもパートタイムで働いてもよい、と女性の生き方は多様化しましたが、そのいっぽうで格差が拡大し、低所得のシングル女性が増えています。彼女たちは努力が足りなかったわけでも人生の選択を誤ったわけでもありません。わたしたちは一歩間違えれば貧困に陥るような、危うい社会を生きています。
 この本では、女の人生を「仕事」「結婚」「教育」「老後」の四つのステージにわけて、何が起きて、その結果、女たちの人生はどうなるのか、これからどこへ向かうのかを解説しています。
 なぜ競争に勝たなくてはいけないのか。そもそも競争は必要なのか。なぜ「つらい」と言いにくいのか。なぜ男よりも優秀な女には居場所がないのか。結婚することは必要なのか。子どもがいない人生は不幸なのか。なぜ老いることがこんなに不安なのか。
 そのことをわたしと一緒に考えてみませんか。

変わらない世の中を変えていく


 わたしはこれまで何度も「どうせ世の中は変わらない」という諦めの声を聞いてきました。でも、そうでしょうか。
 わたしたちだって少しは変えられたんです。たとえば「セクハラ」や「D​V」に遭った被害者が声をあげやすくなったことにはフェミニズムが貢献しました。介護保険制度ができたときも多くの市民が尽力しました。
「こんな世の中に誰がした?」と言わなくてもすむような社会を次の世代の若い人たちに手渡したい。そう思ってがんばってきましたが、大きく変えることはできませんでした。非力でした。
 東日本大震災のあと、地元の高校生に向かって「福島の将来はキミたちの肩にかかっている」と呼びかける大人を見ましたが、「自分たちで自然もコミュニティも壊しておいて、子どもに向かってどのツラ下げて言えるのか」と思いました。福島を日本に置き換えても同じです。「キミたちに日本の将来がかかっているんだからがんばってくれ」なんて、こんな世の中をつくってしまった大人たちに言えるでしょうか。
 わたしたちはどんな状況であれ、生き延びていかなくてはなりません。だから逃げたい人は逃げていい。日本でなくていい。世界のどこかであなたに生き延びていってほしいと思います。
 けれど逃げたくても逃げられない人もいます。逃げないで踏みとどまる人もいます。戻ってくる人もいます。そんなあなたには、ほんの少しでも社会を変える力があります。今よりちょっとでもマシな社会を、あとから来る人たちに手渡すために。