美術館とお寺と猫

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版画の青春 小野忠重と版画運動:3 /町田市立国際版画美術館

(承前) 「新版画集団」および「造型版画協会」の作家たちに関して、次のように書いた。  今回は、予告どおりに数名の版画家をご紹介してみたい。  いずれも、ウェブで検索を試みたところで、略歴すら見つけられない作家たちである。  まずは、武藤六郎という人物。  《東京駅》(1932年 町田市立国際版画美術館)は、東京駅の赤煉瓦駅舎と街並みの遠望を画面下に配し、中央をがらんと空ける特異な構図が目を引く。この余白に、情趣を感じさせる絵だ。  上端には、薄くグラデーション

    • 版画の青春 小野忠重と版画運動:2 /町田市立国際版画美術館

      (承前)  藤牧義夫の作品は、版画・ポスターを合わせて23点。新版画集団の活動を順に追う全体の構成に沿って、年代ごとに登場した。  機関誌『新版画』には、会員たちの版画が貼り込まれている。  4号に収録の《御徒町駅の付近で 東京夜曲A》(1932年 神奈川県立近代美術館)。所蔵先のデータベースはなぜかモノクロ画像のみだが、緑系統に彩色されている(以下は参考画像)。  国鉄の高架下をくぐっていく、路面電車。架線が「バチン!」とスパークするその瞬間を描く。  アメ横が

      • 版画の青春 小野忠重と版画運動:1 /町田市立国際版画美術館

         本展には、長い副題がついている。  メインとサブのタイトルが示すとおりに、本展は小野忠重(1909~90)をボスとした「新版画集団」とその後継「造型版画協会」を扱う展示だが、以下のように言い換えたほうが通りはよさそうだ。  小野は版画家であるとともに版画史の研究者・評論家で、むしろそちらのほうで名前を残した感が強い。  それは、わたしがこの人物を本の著者として長らく認識し、実制作者としての顔に気づいたのがずっと後だったことも関係しているのだろうが、同じような人は他にもけ

        • テルマエ展 お風呂でつながる古代ローマと日本 /パナソニック汐留美術館

          「テルマエ」とは、古代ローマの公共浴場。厳格な階級社会のガス抜き策として、市民に広く提供された娯楽のひとつである。  本展では、古代ローマ市民の暮らしと楽しみを枕としてテルマエの詳細に迫り、日本の「お風呂史」についても駆け足でみていく。ナビゲーターはもちろん、マンガ『テルマエ・ロマエ』のルシウスだ。  最もよく知られるテルマエが「カラカラ浴場」。展示室に入ると、《カラカラ帝胸像》(212~217年 ナポリ国立考古学博物館)が出迎えてくれた。テルマエは階層の垣根を超えて

        版画の青春 小野忠重と版画運動:3 /町田市立国際版画美術館

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        • 日本近代絵画
          223本
        • 藤牧義夫
          24本
        • 西洋美術
          69本
        • 日本絵画(近世まで)
          172本
        • 工芸
          188本
        • 東洋美術
          19本

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          生誕150年 池上秀畝 高精細画人:2 /練馬区立美術館

          (承前)  2階の展示室。極彩色のスケールの大きな作が多数を占めるなか、淡彩の《岐蘇川(きそがわ)図巻》(1921年 長野県立美術館)が、ひときわ異彩を放っていた。  江戸時代の紀行文に触発されて、岐阜の八百津から愛知の犬山まで木曽川をみずから下った体験をもとにしている。バイタリティあふれるよいエピソードであるが、それを縦63.3センチの紙、「天」「地」「人」の3巻分にわたって描きつらねてしまうのだから、これまたとんでもないバイタリティだ。  画巻を見守るように壁際を

          生誕150年 池上秀畝 高精細画人:2 /練馬区立美術館

          生誕150年 池上秀畝 高精細画人:1 /練馬区立美術館

           そんなふうに感じた、そこのあなた。  無理もない。池上秀畝(しゅうほ 1874〜1944)は、生前はともかく、没後長らく等閑視されてきたマイナーな画家だ。生誕150年を機に、その顕彰と復権に努めんとするのが本展である。  まずは騙されたと思って、本展のPVを下のリンクから再生してみてほしい。ほんの33秒の短い動画だ。  ……カッコいい。  絵については部分図が多く、それぞれが一瞬なので正直よくわからないけれど、ただただカッコいい。あえていえば「無駄にカッコいい」力作映像

          生誕150年 池上秀畝 高精細画人:1 /練馬区立美術館

          中国陶磁の色彩 2000年のいろどり /永青文庫

           東洋古陶磁は、主に2つのカテゴリーに分けられる。「鑑賞陶磁」と「茶陶」である。要は茶の湯に使えるか、使えないか。  もちろん、双方にまたがる例や、煎茶器のようにどちらでもない作も少なからずあるけれど、おおまかにいってこの2つだ。  細川侯爵家の伝来品から、中国古陶磁をピックアップする本展。  そのリストは、大名家の御道具としての「茶陶」と、近代になってから買い足された「鑑賞陶磁」からなっている。とりわけ、後者が多くのウェイトを占めていた。  唐三彩と清朝磁器に、名品が目

          中国陶磁の色彩 2000年のいろどり /永青文庫

          没後50年 福田平八郎:6 /大阪中之島美術館

          (承前)  平八郎の「題材のおもしろさ」に関しても、ぜひ触れておきたい。「なかなか思いつかないよな……」というモチーフを、平八郎はしばしば絵にしている。  まずは《氷》(1955年 個人蔵)。  庭先の手水鉢にできた氷の割れ目が、本作の着想源という。  冬場、水の入ったバケツを戸外に放置しておくと、こんなふうに氷結することはたしかにあるものだ。ふしぎな絵だが、聞けば「なるほど」と思える。  平八郎は、テレビに映った天気図をよくスケッチしていたともいい、本作には手水鉢の

          没後50年 福田平八郎:6 /大阪中之島美術館

          没後50年 福田平八郎:5 /大阪中之島美術館

          (承前)  代表作《漣(さざなみ)》がそうであるように、平八郎の視点はとてもユニーク。とくに、対象のトリミングの仕方には独特な感覚がうかがえる。  主に戦後の作品にその特徴が顕著だが、わたしが会場で初めてはっとさせられたのは、昭和18年(1943)の《山桜》(大阪市立美術館)だった。  みなさんはきっと、山桜が咲き誇る姿を思い浮かべておられることだろう。だがこの絵には、3本の幹だけが描かれている。散見される赤い葉と樹肌から、秋頃の山桜だとわかる。  季節はずれの桜の、幹の

          没後50年 福田平八郎:5 /大阪中之島美術館

          没後50年 福田平八郎:4 /大阪中之島美術館

          (承前)  《青柿》(下図。1938年 京都市美術館)では、輪郭線にあたる箇所を残し、その内側が彩色されている。「彫塗(ほりぬり)」と呼ばれる彩色技法で、これにより面的な表現が可能となっている。  葉脈など一部の線は、金で加飾。葉の存在感と典雅さが際立つ。  《花菖蒲》(1934年 京都国立近代美術館)にも、同じ手法を駆使。  こういった、色面を強調する区画立った表現から思い出されたのは、古清水の陶器に施された色絵金彩であった。  平八郎の活動拠点は京都であり、こ

          没後50年 福田平八郎:4 /大阪中之島美術館

          没後50年 福田平八郎:3 /大阪中之島美術館

          (承前)  写実表現の部屋を抜けたところに、あの作品が現れた。《漣(さざなみ)》(1932年 大阪中之島美術館 重文)。  昭和7年(1932)、平八郎は恩師からの誘いをきっかけに、魚釣りに没頭。釣りは生涯の趣味となり、しばしば制作の着想源ともなった。  《漣》は、釣りを始めた同年、琵琶湖の湖面を見つめながら、ふと着想に至ったもの。釣果のほどは芳しくなかったようだが、水面のおもしろさを発見できたことは、違った形で発現したビギナーズ・ラックとでもいえようか。  使われる

          没後50年 福田平八郎:3 /大阪中之島美術館

          没後50年 福田平八郎:2 /大阪中之島美術館

          (承前)  本展は、4つの章からなっている。時系列であり、章立ては作風の変遷を端的に表してもいる。  図録ではこれに続いて「素描・写生帖・下絵」のセクションが設けられているが、展示では各章・各時代の関連する作品の周辺に、この種のデッサン類が散りばめられていた。  それにしても、第1章のタイトル。「手探り」といいきるのが新鮮であるし、わかりやすくてよい。じっさいに拝見してみるとそのとおりで、それはもう「手探り」としかいいようがないのであった。  大分中学校(現在の上野丘高

          没後50年 福田平八郎:2 /大阪中之島美術館

          没後50年 福田平八郎:1 /大阪中之島美術館

           日本画家・福田平八郎(1892~1974)には、その名前とセットで思い出される名作がある。《漣(さざなみ)》(1932年 大阪中之島美術館 重文)である。  寄せも返しもしない、同心円状の波文すらない……微風に揺らぐ静かな水面を切り取っただけの画面は、日本画に革新をもたらした。  平八郎は基本的に京都の作家であるが、縁あって、大阪中之島美術館がこの代表作を所蔵している。ゆえに同館としては、平八郎の大回顧展をいずれは企画する使命があったといえよう。  関西での回顧展は

          没後50年 福田平八郎:1 /大阪中之島美術館

          奈良・法華寺と海龍王寺の御開帳、ユキヤナギ

           大安寺のあと、なお時間があったので、バスを乗り継いで法華寺と海龍王寺を訪ねることにした。大安寺と同じく、御開帳の真っ最中。  光明皇后によって開かれた古刹・法華寺。全国の国分寺を束ねる「総国分寺」の東大寺に対し、「総国分尼寺」とされる尼寺である。桃山時代建立の本堂内では、尼僧の唱える経文がこだましていた。  このたび特別開扉されている本尊《十一面観音立像》(平安時代 国宝)には、光明皇后のお顔を写したとの伝があるが、彫りの深い顔立ちで、むしろ遠くインドを思わせる。長く垂

          奈良・法華寺と海龍王寺の御開帳、ユキヤナギ

          秘仏・馬頭観音と新しい宝物殿 /奈良・大安寺

           奈良に行きたくて仕方なくなって……とうとう奈良に行ってきた。  目指すは、大安寺。  昨年1月から3月にかけて、東京国立博物館で「大安寺の仏像」という特別企画が催された。天平の木彫仏7体(いずれも重要文化財)による出開帳だったが、この展示にはお出ましにならなかった同種のお像が、大安寺にはもう2体いらっしゃる。毎年3月に開帳される《馬頭観音立像》(重文)、10月から11月にかけて開帳される《観音菩薩立像》(重文)である。  この《馬頭観音立像》を拝見することが、訪問の第一の

          秘仏・馬頭観音と新しい宝物殿 /奈良・大安寺

          逆境を乗り越えた大女優・高峰秀子の美学 /日本橋三越・東京タワー

           2024年3月27日、「デコちゃん」こと高峰秀子(1924~2010)は、生誕100周年を迎えた。  これを記念する2つの展示をハシゴしてきた。 ■高峰秀子が愛したきもの /日本橋三越  お誕生日の当日に開幕した本展。4月9日までと会期が短いため、1日で2つをまわろうと思えば、チャンスはわずか13日間に限られる。  じつは、本展に関して、三越のホームページにはなぜか記載がなかった。どうしたことか……おそるおそる向かった本館4階で開催中と確認でき、胸をなでおろした。  い

          逆境を乗り越えた大女優・高峰秀子の美学 /日本橋三越・東京タワー