見出し画像

没後50年 鏑木清方展:5 /東京国立近代美術館

承前

清方の「美人」

 「生活をえがく」の章は、本展の過半を占めている。かたや「美人をえがく」という名の章は、本展には存在しない。
 清方の絵は、カテゴリー分けすれば、ほとんどが「美人画」とはなろう。じっさい、需要の多くが「美人画らしい美人画」であったことを、清方本人が何度か綴っている。そしてそこにはかならず、忸怩たる思いが滲んでいるのだ。

 需(もと)められて画く場合いはゆる美人画が多いけれども、自分の興味を置くところは生活にある。それも中層以下の階級の生活に最も惹かるる

鏑木清方「そぞろごと」(昭和10年)

 私のように美人画家と世間できめられてしまっているものでも、画心は多くの場合、季節の感覚、草木の魅力から誘発される……(中略)……この絵の画因になったのは、譬えば今日のような初夏の雨の風情に画心を誘われたので、女も風情の一つであるにすぎない。

鏑木清方「緑の雨」(昭和2年)

 美人画といえば、周囲をとりまく一切から隔絶し、理想化が推し進められた「美の標本」「ブロマイド」的なものが真っ先に浮かぶ。そのような作が世にはあふれ、美人画として市民権を得ている。
 かたや清方の美人は、季節や時間、生活、あるいは物語といった背景を感じさせる、血のかよった一介の市井の人の姿である。
 「女も風情の一つであるにすぎない」のくだりからもわかるように、美しい人の美しい姿を表すことは、清方が最終的に目指すところではなかったようだ。
 とすれば、清方の美人とは「風情を、人間の姿を借りて具現化したもの」ともいえそうだ。誤解を承知でいえば――着物をまとった「妖精」のような存在……
 そういった思いは、《築地明石町》三部作を観ているときに、より強固なものとなった。(つづく

 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?