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向島さんぽ 石鹸の香りに誘われて :2

承前

 向島には桜の名所・墨堤と由緒ある古社寺があり、木造家屋と大小の工場が寄り集まっている。
 隅田川の水運を利用でき、東京近郊でありながら広い土地を確保できた向島は、さまざまな近代産業の勃興する地ともなった。
 その代表格が、石鹸産業である。

 向島の北の端は鐘ヶ淵——すなわちカネボウ化粧品の前身・鐘淵紡績発祥の地であるし、現在その親会社となっている花王の淵源をたどると、明治9年、向島に創業された石鹸の製造会社「鳴春舎(めいしゅんしゃ)」に行き着く。
 鳴春舎の石鹸職人・村田亀太郎が引き抜かれて花王石鹸を生み出し、同じく鳴春舎の職人であった小林富次郎が、現在の「ライオン」の前身を創業した。
 これらに加えて資生堂石鹸やミツワ石鹸といった会社が、向島やその周辺に大工場を構えたのであった。

 すみだ郷土文化資料館の「すみだの石鹸」展は、このうち「ライオン」に焦点を絞って、鳴春舎からつづく企業の歩みを紹介するもの。
 そういえば見かけなくなって久しい、ちょっと懐かしいパッケージとの再会や、現行の商品とほとんど同じだけれど、やっぱり少し懐かしいパッケージとの出合いなど、この館ならではの体験もあった。
 見知ったものが、博物館でうやうやしくガラスケースに入れられて展示されている——ふしぎで、おもしろい感覚。

 ほかにも、展示のところどころに「驚きポイント」が散りばめられていた。
 明治43年に営まれた創業者・小林富次郎の葬儀の記録映像が現存しており、日本最古の映画フィルムとして重要文化財に指定されているということ。

 ライオンの製品を買って応募すると、成瀬巳喜男監督『娘・妻・母』のチケットが当たったらしいこと。
 風邪薬のバファリンが、ライオンの製品だったということ……などなど。

 展示には「ごきげんよう」でもおなじみの「ライオンちゃん」のぬいぐるみや、トークテーマを各面に記した例のあのサイコロまで出ていた。
 石鹸がお湯に溶けていくように、ご家庭の台所にお風呂場になじんで、さらにはテレビ番組やCMを介してお茶の間にもよく浸透していったライオン。いつもお世話になっております。これからもよろしく!
 ……ということでは、本稿は〆らないじゃないか。
 忘れかけていた、Tのことである。

 本展では、鳴春舎とライオンを除く他社への言及がなかったので、日本画家Tの実家である石鹸業者についての手がかりは皆無であった。
 向島とその周辺には、ここまで名前を出してきた大企業の石鹸工場だけでなく、より小規模の同業他社・町工場が多数存在していた。日本画家Tの家業もまた、そのひとつだったのだ。
 Tは明治の生まれであるが、向島近辺の石鹸業者であった彼の父は、花王やライオンの創業者たちと同じく、鳴春舎のOBだったのではとわたしは踏んでいる。時期、場所からすると、まったくの無関係ということはないだろう。

 じつは、現在の住所録で向島の石鹸業者を調べていくと、Tと同じ苗字を冠した石鹸工場が見つかる。
 ありふれた苗字ではある。赤の他人かもしれぬが……興味をひかれるところだ。慎重を期して実名を伏せてきたのも、そういった事情が背景にある。
 Tのことについて目立った進展があれば、また筆を執るとしたい。

     *

 ちなみに……朝ドラ『ひよっこ』東京編の最初の舞台も向島。
 谷田部みね子(有村架純)が集団就職で茨城から上京して働いたトランジスタラジオの製造会社は「向島電機」だった。
 このあたりの設定は、山田洋次監督の『下町の太陽』を意識していると思われる。貧しきヒロイン(倍賞千恵子)が働くのは、やはりこの近辺の石鹸工場。困難に見舞われるも負けず、腐らず強く生きる女性の姿は、両作に共通するテーマだ。
 『ひよっこ』では、歌のほうの『下町の太陽』が工場の先輩・愛子さん(和久井映見)の愛唱歌となっていて、真夜中に寝言がわりに歌われたりもする。
 みね子や愛子とともに向島電機で働く青天目澄子(松本穂香)は、工場の閉鎖後、近隣の石鹸工場に移籍する。澄子は常にボーッとしていて、食べ物のことしか考えていない。こんな澄子の手を借りたいほど、当時の石鹸工場は人出の足りない職場だったのだろうかと想像が膨らむ。


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