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TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション:1/東京国立近代美術館

 東京国立近代美術館、大阪中之島美術館、フランスのパリ市立近代美術館。
 大都市の公立3館が、国境を超えてタッグを組んだコラボ展である。

 パリといえば、先日まで五輪が開催されていた。パリ市立近代美術館はあのドブ川セーヌ川沿いにあるというから、もしかすると開会式の映像にも映り込んでいたのかもしれない。
 本展の会期は5月21日から8月25日までで、すなわち、五輪の開催期間をまるまるカバーしている。
 拝見したのは6月末だったから、オリンピック・ムードといったものは、少なくともわたしのなかに醸成されていなかった。いまさらながら、五輪を多少なりとも意識した企画だったのかなと気づいた次第である。
 五輪閉幕後にして、東京展の閉幕直前のいま、感想を綴ってみるとしたい。

 さて、展覧会のタイトル。これがまず、おもしろい。
 むろん、3館だからトリオなのだが、同時に以下の意味が込められているらしい。

Tokyoの “T”、Parisの “ri”、Osakaの “o”、3つ合わせて “Trio

    “Trio” はフランス語でもある。平等に大文字に直して “TRIO”。よく考えられているなと思った。五輪的な意味では、「パリ」というより「東京」「リオ」を感じさせる響きではあるけれど。

 3館が誇る所蔵品を、どのようにコラボしていくか。公式サイトには、以下のように記述されている。

3館のコレクションから共通点のある作品でトリオを組み、構成するという、これまでにないユニークな展示

 このくだりを読むより前に、わたしはある別の展覧会のことを思い浮かべていた。
 2021年開催の「トライアローグ 横浜美術館・愛知県美術館・富山県美術館  20世紀西洋美術コレクション」展である。

 ※富山展のページ。作品リストが現存。

 こちらも「3館のコレクションから共通点のある作品でトリオを組み、構成する」という点では、本展と同じようなコンセプトではあった。
 たとえばピカソならば、愛知の《青い肩かけの女》(1902年)、富山の《肘かけ椅子の女》(1923年)、横浜の《肘かけ椅子で眠る女》(1927年)が並ぶ——といった具合。
 同じ作家、もしくは近い作家の異なる所蔵先の作品を比べつつ、美術史の流れを編みあげていく。つまり、3作の「共通点」を作家単位に限るシンプルな視座が、「トライアローグ」展の特徴だったといえよう。

 その点、本展の「共通点」の見出し方は、モチーフの共通性など表層的なものから、表現の核心に迫る深いところまで、多岐にわたるテーマ設定となっている。
 たとえば、下の写真の壁面には、左からパリのモーリス・ユトリロ《セヴェスト通り》(1923年)、東京の長谷川利行《新宿風景》(1937年)、大阪の河合新蔵《道頓堀》(1914年)が掛かる。

 テーマは「都市の人々」。3つの大都市の日常風景を、それぞれのご当地の画家が描いたものだ。
 河合新蔵は大阪生まれ、関西洋画壇の重鎮だが、東京の美術館で作品に出合う機会は非常に少ない。こういった、その館らしい作家の作品が出ている点は、本展の見どころといえよう。
 ユトリロと利行に関しては、都会で酒びたり、破滅的な生活を送りデカダンの風が漂う……といった共通点が浮かぶ。
 そんな2人はともかく、この3人がトリオを組む機会は、本展だけであろう。

モーリス・ユトリロ《セヴェスト通り》
(1923年  パリ市立近代美術館)

 ほかにも、ゆるくいえば「他人のそら似」チックな比較は多々あったし、上の例のように、日本人作家とフランスなど西洋の作家の作品が並列されることもしばしば。3作とも作者が日本人、女性というトリオもあった。
 3点を前にして、上部の壁にプリントされているテーマにあえて目を向けずに、リンクする点を自分で探してテーマを予測する……といった楽しみ方も可能となっている。

 このように、本展はテーマの立て方・切り口じたいにおもしろみが感じられ、「次はいったい、どんな球がくるのだろう?」といったワクワク感を味わえる展示内容となっていた。
 そして、公式サイトで謳われているとおりに「見て、比べて、話したくなる。」展示でもある。
 わたしも、もう少し話したい。次回につづく。(つづく



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