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ゆるりとめぐる、東博の総合文化展:3 〈考古篇〉 /東京国立博物館

承前

 ジャンルごとの展示室のうち、考古室のみが平成館の中にある。
 2階の特別展を観たあと、クールダウンがてら考古室を流すことも多い。
 東博の特別展会場はとても広く、やはり毎回名品ぞろいでもあるので、観終える頃にはちょっとした達成感が味わえる。
 このよい意味での疲労感、さらに、人混みに揉まれた文字どおりの疲労感に対し、土偶や埴輪、勾玉などのやさしい造形はピンポイントで効く。

 考古室の入り口には、東博の考古分野を代表する作品が1点だけ、いつも廊下側へ向けて展示されている。この作品に魅かれて、そのまま考古室の中へと誘導されていく人は後を絶たない。
 今回は《埴輪  盛装女子》であった。

 まず、大きい。高さ126.5センチもある。そして、なめらかで、細部まで丁寧な仕上げだ。貫禄と風格の逸品。

直立不動
基本的に丁寧な仕上げだが、着衣の文様のフリーハンドさといったら!
鼻の穴まで表現されている

 この1点をイントロダクションとして、旧石器、縄文、弥生、古墳の遺物を展示。勾玉や石枕などもよかったが、ハイライトはなんといっても、埴輪がずらっと並ぶ「はにわ島」。古墳の墳丘がイメージされた一角だ。

 《埴輪  腰かける巫女》(群馬県大泉町古海出土  古墳時代・6世紀  重文)
ちょこんと座っている感じが愛らしい
中央、いいヤツそう

 はにわ島では、メンバーの入れ替えがしばしばおこなわれている。来室前には、きょうはどんな埴輪に出会えるだろうと楽しみになるし、期待を裏切られたためしがない。
 しょうもない話だが、キャプションを見ずに、埴輪のポーズや表情だけで「ひとり大喜利」をしたり、吹き出しでセリフをつけたっていいではないか。
 上の階や他館で特別展を観終えたあとなど、ちょっとばかり脳内がおつかれのとき、わたしはそういった鑑賞に切り替えてしまう。この日も、そうした。

 もとはといえば、どこぞの他人のお墓からかっさらわれてきたもので、祭祀・呪術、また慰霊や鎮魂の性格がかなり強い遺物には違いない。歴史的な背景や、考古学的な成果を踏まえて対峙しようというスタンスも、いうまでもなく大事であろう。
 だが、自分勝手に、自由気ままな見方をしてみたい衝動がまさる。日本の美術にはときおりそういった例がみられるが、埴輪は仙厓さんの禅画などと並んで、最たるものだろう。

 考古室の最後のセクションは、奈良・平安と中世・近世の遺物。仏教工芸が過半を占めている。このなかにも、文脈をひとまずわきにどけて「愛でたくなる」造形があった。
 修験道の聖地、奈良・大峰山の山頂から出土した《押出蔵王権現像》。
 型の上で銅板を叩いて修験者の本尊を浮き出させ、上から鍍金を施したもの。
 展示では壁に設置され、床からは浮いていた。

《押出蔵王権現像》(奈良県天川村・大峯山頂遺跡出土  平安時代・10~12世紀  重要美術品)
影もいい感じ

 これは信仰の具現化であり、発願者や実制作者は祈りや願いを込めてつくり、聖地に埋納したものではある。だが、純粋に造形としてみた場合にとても愛らしく、とぼけていて、かわいらしい。さらにこの展示方法ときたら、笑かしにすらきているのでは……そんなふうに、疑ってしまう。いや、おもしろいです、じっさい。

 ほんとうは、下のリンクのお像ほどの出来には、したかったのであろう。けれど、技術的にそこまでは及ばなかった。

 ただ、等身が大きくて丸っこい造形は非常にキャラクターめいており、わたしとしては甲乙つけがたいというか、ベクトルの異なる、絶対値の大きい魅力を双方がもっていると思う。

 《押出蔵王権現像》のこの展示は来館者からも好評らしく、スマホを取り出して撮影する人は多くいたし、ウェブで検索をかけると、このお像(と展示手法)について写真とともに紹介するブログが多数ヒットする。
 いつか、誰かがうまいセリフをでっちあげて、バズりそうな気も……
 どんな形であれ、東博へ、できれば特別展だけでなく総合文化展へ来館し、日本美術に目覚める人がさらに増えてくれるとうれしいものだ。


京都・修学院あたり


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