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「心を一つに」なんてできる時代じゃない。仲良くない人とこそ協力し合ったほうがいい理由とは

先日のマガジンで、個人経営でどうにもならないなら他者と協働する手もある、という話をしたんです。


そこでは例として、立川のフードマーケットを挙げました。

発起人を中心に地元愛あふれる飲食店オーナーが集まり、志をひとつにして地域を盛り上げている商業施設のお話です。

この記事を書いたあとで、やはりこの事例はちょっと再現性の低いレアケースかなと思ったんですよね。なんというか、完璧すぎ、理想的すぎて、普通の人がマネしづらいのです。

今の時代、そんなに価値観の合う人ばかり何人も集まるでしょうか。

前回の記事で私は、協働するならまずは身近にいる1人、2人とコラボするところから始めてみてもいいのでは?なんて書きましたが、それですら怪しいものです。

たしかに現代は、SNSの発達によって "同志" を探すのが容易になりました。

少々マニアックな趣味や考えを持った人でも、SNSで探せばたいていいくらでも仲間を見つけてコミュニケーションを取ることができます。

しかし人々のライフスタイルや価値観がどんどん多様になってきている現代ではむしろ、リアル世界で似たような考えを持った人を見つけるのは非常に難しいように思います。

同じ30代でも、同じ働くママでも、仕事への考え方、生き方、家族観などが、人それぞれまるでちがうのです。


対立する人たちとの協働は、似たもの同士を探すより合理的?

実際リアルの世界で事業を経営していると、どうしても避けられない、かつ1人ではどうすることもできない問題が勃発することがあります。

たとえば周辺地域の過疎化、内部組織の崩壊、後継ぎ問題、近隣とのトラブルなどです。どれも避けては通れない難題であり、同時に自分だけで対処できる代物でもありません。

このような問題が起こったとき、実は私たちは、意見の合うを探してなんとかしようとするよりも、むしろあまり顔を合わせたくない人、意見が対立する人たちと協力し合ったほうが合理的なのかなとふと思いました。

まるで尊王攘夷の活動家であった渋沢栄一が、江戸幕府の幕臣になったようにです。

ちなみに先日読んだ「敵とのコラボレーション(英治出版)」という本には、他者との協働についてこのように書かれています。

人々はより自由で個人主義になり、ゆえに多様化が進み、個人の発言力が高まり、上意下達は通用しにくくなっている。人々のアイデンティティと所属関係は流動性を増している。あたらしいテクノロジーの影響で、政治、組織、社会、家族のヒエラルキーは崩れていき、不安定さ、不確実性、複雑性、曖昧さが増している。
したがって、一方的に、あるいは仲間や友人とだけ組んで何かを足し遂げることは、前にもましてできなくなっている。よりいっそう、反対者や敵対者を含む他者と協力する必要があるーーもちろん、それがますます難しくなっていることに気付かされる。(太字は筆者による)


固定化された習慣や常識が崩れ去った現代では、やはりいっそう、仲良くない人や意見の合わない人たちとの協働が必要になってくるようです。


これに加えて、仲良くない人、意見の合わない人と向き合うことは、似たような人たちとだけ集まることで起こるデメリットも解消されるかもしれません。

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