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限りある夫婦生活。ながく、ゆっくりと楽しみたいから

17つも年上の人と一緒になってみて、やはり価値観や考え方が変わったことって山のようにあるんですけど、中でも強く実感するようになったのは「人はいつか死ぬ」っていう、あたりまえすぎる事実です。

 

実は今の旦那と付き合って間もなくして、彼の母がガンで亡くなりました。

私はこれまで、ごく身近な人が亡くなるという経験をしたことがありません。

ですので、つい2、3日前に会って話をした人が、次に会ったときには息をせずに眠っている、という現実を初めて目の当たりにしたとき、命とはなんて儚いのだろうかと、生々しくそう思ったものです。


彼自身だって、もうかれこれ51歳。

不慮の事故や大病を患ったりさえしなければ、働けるのはあと20年、今と同じようにテキパキ動けるのは10年ぐらいだろうといいます。

加えて近年は、自分はもう後半の人生を生きているんだとか、遺言書を書かなきゃとか、死に向かって歩み始めていることを思わせる発言が目立つようになり、私も自ずと「パートナーの最期」について意識せざるを得ない状況になっているんですよね。せつないですが。


きっと私と同年代の、30代同士で結婚したカップルの多くは、夫婦生活の終わりのことなんてまだまだ考える段階ではないんだろうなと想像すると、ちょっと羨ましくもあります。

ただそのぶん、ふたりで過ごせる時間がとても貴重で大切なものだと思えているのは、ある意味で幸せなことなのかもしれません。

人間、なにごとも制限を意識したほうが、かえってそれを大事にしようと思えるものですからね。



しかしそのわりには最近、あまりにも時間が経つのが早いです。

週にいちど放送するテレビ番組。2日前ぐらいに見た気がしたのに、もう次の回が放送されてます。

朝のハミガキ、昼の買い物、夜ごはんの支度と、いつものルーティーンをこなすたびに「昨日のアレからもう24時間?!あっというまだなぁ......」と、虚しい気持ちにおそわれます。


特別イヤなことが起こらない、平和で平穏な、だいたい同じ毎日。これを普通の幸せだというのなら、私は見事にそれをつかんでいるのでしょう。

しかしこんな平穏な毎日が、むしろ時の流れを早く感じてしまうことにつながるのだとしたら、私は焦りと怖さを感じずにいられません。それとこれとは別の話、であってほしいのです。



ふと、ある話を思い出しました。

大人になると時間が経つのを早く感じるのは、行動の「ディティール(=細部)」に注目していないからだという話。千葉大学・一川誠教授による「時間学」をテーマにした研究によるものです。


たとえば大人の私たちにとって「食事をすること」は食事をすることでしかない、と考えている人がほとんどです。

特別な外食やパーティーでもない限り、食事とは、食べ物を口に運んでお腹を満たす、1日のイチ作業に過ぎません。

多少は「あ、美味しいな」とか「なんかこれイマイチだな」とかって思っても、それ以上に掘り下げて考えるようなことは、プロか、よほど料理好きな人でもない限りしませんよね。

人によっては、音楽を聴きながら、テレビを見ながらなど、流れ作業のように食事という時間を消費していたりもします。


でも、これが子どもだと違いますよね。

やれジャガイモがブタさんの顔に見えたとか、やれ、このお魚なんだろうとか、食事というひとつの行動の中からいろんなことを発見したり感じたりしています。楽しみながら、目の前の作業の「ディティール」に注目しているわけです。

この「ディテールに注目すること」こそが、同じ時間をより長く感じる秘訣なのだといいます。



思えば私たち夫婦は、一緒に暮らす時間が長くなるにつれて、仕事でもプライベートでも、ほとんど会話を交わすことなく各々のやるべきことをこなせるようになっていました。

相手の好きなことも嫌いなこともわかっているし、言われて嫌なこと、次に言いそうなこと、やりそうなこともだいたい読めます。お互いにとって心地よいリズムで歯車がまわる毎日。こなれたものです。

しかしこれがかえって、ものごとの「ディティール」に注目しなくなった原因でもありそうです。


私たちはいつの間にか、まわっている歯車の、歯の形状はどうなっているだとか、歯の数はいくつあるだとか、油を注すタイミングはいつだとか、そういう細部にまでは、全く興味・関心が持てなくなっていたし、持つ必要もなくなっていました。

ですので、ただただ高速で回転するだけの面白みに欠けた生活を充実させるには、旅をしたり、どこか特別な場所に出かけたりするしかありません。

そう、私たちは残りの時間を大切にしたいと言いながら、すでに目の前の景色をガラッと変えることでしか、何かに注目したり面白がったりすることができなくなってしまっていたのです。

付き合いはじめたころの、あの、なにをしてても可笑しかった日々はとっくに失われていたんですよね。



これじゃあダメだな、もったいないな、と思いました。

この先の人生なんてきっと「なんてことない毎日」の連続です。特別じゃない日がほとんど。

そんな毎日の中から、新たな発見、疑問、喜び、驚き、おかしみやらを見つけて楽しむことができなければ、まばたきをしているその隙に、10年、20年と、あっというまに歳をとってしまうような気がしてなりません。

子どもが食事をするときのように、これなんだろう?あれ可笑しい!って注目していかないと、ただただ、滅多にない特別な日を楽しみに待つばかりの、流れ作業のような一生を過ごしてしまうんだろうと思うのです。


ただ今はもう、子どものころや付き合いたてのあのころみたいに、自然と日々の暮らしの細部に注目できるような洞察力は持ち合わせていません。

だから改めて、ちゃんと意識して、暮らしの中に埋もれていた「ディティール」を見つめ直す作業をしていかなければならないんだと思います。


たとえば、ご飯がうまく炊けた喜びをちょっと大げさに伝えてみたり、朝起きてきたときの寝ぼけまなこの顔を動物にたとえて笑いあってみたり、彼が毎晩がんばっている前屈ストレッチの成果を一緒に喜んだり。

こんなふうに、あまりにも効率よく圧縮されていた日々の暮らしを、もういちど解凍し、見つめなおす必要がいまの私たちにはありそうです。


平均寿命を考えると、残りの夫婦生活はあと30年といったところ。長いでしょうか。私には焦るほど短く感じます。

この限りある時間を、少しでもながく、ゆっくり感じながら生きていきたいです。





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