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東京の果て、そして森の生活

はじめに

みなさま、ごきげんよう。

低気圧の日々が続いているが、いかがお過ごしだろうか。こんな時だからこそ、運動を生活に取り入れつつ、うまく梅雨を乗り越えたいものである。自戒を込めて...

そういえば、東京の西の果てには、素晴らしい自然が広がっていることをご存知だろうか。

「東京の果ては、練馬じゃないの? じゃあ、ジム行く?」

「東京はコンクリートジャングルだから、自然なんて無くない? それより、タピろ!」

と思われた、そこのあなた。

朗報である。東京の領土は、練馬に止まらない。23区主義者達の主張に騙されてはいけない。東京は、広く、そして自然に充ち満ちている。

(補足だが、東京の島も素晴らしい。小笠原諸島に関してはユネスコの世界自然遺産に登録されている)

檜原村を知ってるかい?

話を戻そう。

東京の西の果てには「檜原村」という場所が存在する。東京に属する市町村の中で、本土唯一の"村"だ。

場所はこんな感じ↓。山梨・神奈川・埼玉に行く方が、都心に行くよりも近かったりする...そんな場所だ。

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都心から2時間ほどであり、周りを山に囲まれている為、自然に関わるアクティビティを心ゆくまで楽しむことが可能である。BBQ・川釣り・登山・キャンプ・グランピングの施設が充実している村だ。

村の9割が森林であり、夏も涼しいらしい。ちなみに、冬は滝が凍結するくらい寒い。周囲を標高の高い山地に囲まれている盆地の気候である、「中央高地式気候」に属しているようだ。東京なのに、東京っぽくない...

人口は、平成31年時点で2,217人(※人口と世帯数の推移|檜原村)となっている。面積に関していえば、八王子市より小さく・練馬区よりも大きい。

まとめると「都心から近くて、非常に自然が豊かな村」といった位置付けの場所である。

この6月、私はこの檜原村に赴いた。

シアター1という秘境について

檜原村に赴いた最大の目的が、「シアター1に行くこと」だった。

シアター1とは何か? 公式の紹介文を引用させていただく。

都心から90分、車を停めたら階段を降りるだけ。
東京都唯一の“村”である檜原村の山地標高600m、5000坪の敷地にポツンと1棟だけ建っているシアタールーム。 贅沢な食事と100インチの大画面やパノラマに広がる浅間尾根を眺めながら、贅沢なプライベート空間をお楽しみください。

今年の3月、このページと当該施設の紹介文に出会った私は、「大自然に囲まれた5,000坪もの空間を独り占めできるなんて、最高すぎる。」と考え、速攻予約を決意した。(本記事のサムネイル及び以下の写真に関しては、上掲公式の写真より引用)

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今回、私は車にてシアター1及び檜原村を巡った。神奈川県の、それこそ東京に程近い場所から運転して向かった訳だが、1時間半程度で到着した。

普段オフィスの椅子に張り付いて、ちかちかと光る画面と睨めっこしながら腰を消耗している私にとっては、自然の豊かな場所に赴くことが楽しみでしょうがなかった。

実際に、シアター1に着いた後に撮影した写真が以下の通りである。(以下、筆者撮影)

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大自然とは、かくも雄大で・そして心を震わせるのだろうか。着いてすぐ、眼前に広がる景色をカメラに収めながら、そんなことを考えていた。

前述した通り、この施設では5,000坪の空間を独り占めできる。近隣の住民ともかなり距離が離れている為、気兼ねなく相当な音量で音楽を楽しむことができる。

大自然を眺め、ウクレレを弾き、食事を楽しむ... 最高のデイオフがそこに存在していた。

ちなみに、ちょっと足を伸ばすだけで檜原村の観光スポットも楽しむことができる。特に62メートルもの落差がある払沢(ほっさわ)の滝は圧巻である。(以下、筆者撮影)

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実は私は、(以前の記事にて取り上げたこともあるのだが)所謂田舎の出身である。今回赴くにあたって調査したところ、檜原村は私の故郷から車で1時間くらいの距離に存在する。まさか近くにこんな素晴らしい自然が存在していたとは...と「灯台下暗し」を実感すると共に、自分の無知を恥じた。

文句の付けようがないくらいシアター1は素晴らしかったし、檜原村も素晴らしい。なにより、自然を眺めながら自分の人生に向き合う時間(いわば"余白"的な時間)を持つことができる。この時間は何物にも代え難い。

ソーロー『森の生活』

この1ヶ月、ずっとリュックに入れながら、毎日少しづつ読んだ本がある。それは、ソーローの『森の生活』という本だ。

ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1817-1862)は、アメリカ・マサチューセッツ・ウォールデン湖の近くの森の中に自分だけの小屋を立てて、2年余り自給自足の生活を行なった。四季の移り変わり、そして自分の感覚に向き合った際の産物を書き表したのがこの『森の生活』である。

彼は、何かに追い立てられるように生きている人々(当時の人々・そして現代人も含む)に対して警鐘を鳴らすと共に、自分の行動をこう形容している。

わたしが森へ行くことにしたのは、死ぬときに、自分は本当の意味で生きてこなかったと思い知らされるような羽目にならない為だった。

ソーローは自然に囲まれながら生活を送る中で、森と湖がもたらす無数の静寂の瞬間に出会い、そして、自分の人生に向き合いながら、静かに思考した。

彼の考えは多岐に渡るが、その多くが自然と一体となって暮らす中で得た知見を、自分の感覚・経験及び歴史・名著・金言と絡めながら、実験的に思索した事柄にて構成されている。

私がソーローの文章の中で特に好きなものを以下に抜粋したい。

ウォールデン湖に来たのは、安く生活するためでもなければ、ぜいたくな生活をするためでもない。できるだけ邪魔のないところで、自分が本当にしたいことをしたかったからだ。どうすれば自分を偽らずに生きられるのか、自分の正しい目的を達成するための自由を失うことなく。
ずいぶん前のことだが、わたしは猟犬をなくし、赤茶色の馬をなくし、キジバトをなくし、今でも彼らのあとを追っている。
どんなに自分の人生がみじめでも、それを受け入れて、それを生きよう。この世界で生きることは苦行ではなく、遊びなのだ。シンプルに賢く生きてさえいれば。
この世界には可能な限りいろんな人がいたほうがいいし、それぞれが自分の生き方を見つけてほしい。人が仲間と歩調が合わないとき、それはおそらく、その人が仲間とちがう太鼓の音を聞いているからだろう。その人の耳に響いている音に合わせて歩ませてあげればいい。それがどんなリズムであろうが、どんなに遠くから響いていようが。

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檜原村、そしてシアター1に於いて、私はこれらのソーローの言葉を反芻すると共に、自分の人生に向き合う機会を持つことができた。

その時間は、とてもしみじみとしていて、「自分の人生にとって本当に必要なことは、実はそれほど多くない」という点を実感させるものとなった。

余白と、思索と

私達は普段、目的や効率という言葉に追い立てられる生活を送っている。これらを追い求めることは、世間からの賞賛を得ることには繋がるが、自分にとっては時に息苦しさをもたらすものとなる。かく言う私も、そんな生活を送っている。

しかし、自分の人生とは「目的」「生産性」「効率」「組織」の為に存在しているのではない。自分の人生に於いては、自分で思考を巡らし、自分の「耳に響いている音に合わせて」進んでいくことに意義があるのではなかろうか。

これらの事柄に帰結する為には、余白の時間が必要である。目の前のタスクに追われている中で、こうしたトピックに向き合うのは難しい。

今回私は、自らを自然の中に投げ入れることで、強制的に自分に向き合う時間を作り出すことができた。

ぜひ、檜原村・シアター1に赴いて、自分だけの空間を楽しみながら普段できない思索を深めてほしい。

(taro)

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p.s. 文中では書ききれなかったが、シアター1はサービスも素晴らしい。CEO及びマネージャーの方が丁寧に対応してくださる為、宿泊中も素晴らしい体験ができること間違いなしである。

また、檜原村の各種観光スポットのリンクも以下に掲載しておくことにする。どちらもシアター1から車でサクッと向かうことが可能である。4番目に掲載したお蕎麦屋さんは、シアター1のマネージャーさんにレコメンドしていただいたお店である。雰囲気も含めて、筆舌に尽くしがたい美味しさであった。

また、公式twitterにて、本記事をシェアしていただいた。改めて感謝申し上げたい。


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