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知らずに使ってる? 本当は怖い漢字の由来


夏到来です。密は避けても水は飲んでね。
最近はコロナで大陸の工場が稼働率を下げている影響もあって、この時期の割には比較的過ごしやすい気温だけれど、やはり日中の日差しを鑑みると夏を意識させられる。その昔、「今年の夏はどこに行こうか、今年の春はどこに行こうか」という歌でヒットしたヒルクライムという音楽ユニットがあった。メンバーの一人が大麻取締法違反というガチのクライムをやらかして、「今年の冬は刑務所に行こうか」と残念なな末路をたどったことをふと思い出す。悲しい背景こそあれど良いものには変わらないので気になる人、懐かしい人は「Hilcrhyime 春夏秋冬」で検索だ。
さておき、日本には季節がある。外国にも四季はあるだろ、ナニイッテェダア?テメ?というそこの君。それぞれの季節感と文化伝統が強く結びついていて、かつ国民の美意識に色濃く反映されている国は多分日本が一番だろう。一千年前に清少納言が「春はあげぽよ」とツイートしてバズってから今日まで、ぼくたちの生活に溶けて馴染んでいるこの感覚は、夏になったら怖い話だろ!と叫びつづけるのだ。叫びつづけるよね?清少納言も「夏はさげぽよ、お化け怖いしマジ卍」って言ってるし(言ってない)。
というわけで今回のテーマは、
知らずに使っている?本当は怖い漢字の由来。

いくぜ!

「幸」

幸


幸福や幸運など、吉兆について用いられることが多い漢字の代表である「幸」、名付けでも安定した人気がある感じではあるが、これはもともと刑具を表す象形文字だった。
象形文字とはあるものの見た目が、絵として起こされ、それが崩れて字になったものである。火や月などがこれに該当する。
さて、話を元に戻すと「幸」の字は手枷をかたどって生まれた漢字だった。
司馬遷が著した歴史書、「史記」には前漢高祖劉邦の正妻呂后は実子恵帝の即位後、側室戚夫人の四肢を切断し両目と耳を潰して厠に落として、これを人豚と呼ばせたとある。古代中国では戦争と政争の凄絶さから苛烈な刑罰が多く、こういったものに比べれば手枷で拘束される程度は比較的「幸」いだったということだろう。実際、「執」行、「報」復など刑罰にかかわる熟語では「幸」が用いられる。

「県」「縣」

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日本でも中国でも行政区域の単位を示す意味で使われているが、もともと逆さにつられた罪人の首を表していた。処刑した罪人の首を木に吊るし、髪の毛が下へ垂れ下がった様子を示したのがこの漢字である。見せしめの意味が強い措置であろうが、その様子はまさしく首が実った木であり、ひどく奇妙な光景だったろう。現在使われる「県」の意味は中央政府にぶら下がる下位の行政区画ということから転じた。

「真」「眞」

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「𠤎(か)」はひっくり返った人、また倒れた人間を表し、人間の死を意味する。つまり、「化」けるとは生者が死者へ転ずる変化を表す概念であった。これに上述の「県」が加えられたのが「眞」という漢字である。眞は不慮の死、行き倒れの死を意味し、こういった死者の強い無念が悪影響として表出されないよう人々は「鎮」める術を試行錯誤したようだ。
眞に土辺を加えた「填」は穴をふさぐこと、埋めることを意味する。
「瑱」は耳飾りを表し、死者の耳に宝石を詰めてこれを弔った。
死者を丁重に葬るに際しての気構えを「慎」と呼ぶ。
いずれにせよ、古代中国では「死」について生命の根源的な意義、すなわち必ず終わるもの、を見出しこれを積極的に捉えて「真」という本質を表す意味に転じさせたようだ。

「残」「殘」

残


残虐、残酷、残骸。ただ「のこる」という意味にしては不穏な漢字としばしば組み合わせられるこの漢字は矛でずたずたに引き裂かれた死体を意味する。「のこる」の他には「むごい」「そこなう」という意味にも用いられる。「歹(がつ)」は骨が残った遺体の様子、これに「𠤎(か)」を合わせたのが「死」という漢字である。「戔」は「戈(ほこ)」を重ねた様であり、薄いものが折り重なる様子を示す。
戦場跡で、元々は個々の人間だった物体が骨片と肉片になって混然として荒野に晒されている見るも無残な様子が連想できる。

「民」

力ンジ


共同体を構成する被支配層の最小単位は民だろう。支配層である王権に対して、民の存在はその権力の強さの象徴であった。
「民」は視力を奪う様子を表す象形文字である。殷王朝時代の中国において奴隷は片目を針で潰された。脱走を防ぐために手足を束縛したり切り落としたりしては、そもそもの労働力としての稼働性が下がってしまう。そこで、視力を奪うという消えない傷を与えることで王権への隷属を刻みつけたのだ。
このことから国家権力に支配される人のことを「民」と表現するようになった。ちなみに元々、「民」の上部の「口」の形の部分の中心には瞳を表す黒い点があったようだが、やがて省略されるようになった。視力を奪われた様子がより如実に反映された形で現代に残っている。



以上、本当は怖い漢字の由来でした。真介くんや幸子ちゃんたち、大丈夫。落ち込まないで。これらの漢字が生まれたばかりの時代と現代では全く状況が異なる。時間をかけて解釈が加わり古い意味が廃れ、今の意味に落ち着くようになった。あなたの名前をつけた時のパパとママの願いに邪心はないに違いないはずだ。君たちが子供に名前をつけるときもこんなことは気にしないで良いと思う。

あと、この記事を読んだ人は七日後に呪いで死にます。

(kobo)

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