家事の重要性に、気付くとき
こんにちは。
最近、「兄が全然家事をしないのだが...」という悩みを打ち明けられたのですが、このように全然家事をしない人が「家事の重要性の気付く」瞬間に出会すのは、どういう瞬間なのか、自分の経験を元にして語ってみようと思います。
"家事"という行為
"家事"という行為には、すべからく「身体を動かす」という行為がつきものです。一言でいえば「めんどくさい」。家事をしない、というのは「めんどくさい」行為を避けている訳であって、なんら特別な理由がある訳ではないのです。
私が家事をするようになったきっかけ
かくいう私は現在全て自分の家事を、自分一人で行っています。洗濯、皿洗い、ゴミ捨て、掃除機掛け... めんどくさいけど、自分がするしかない状況に置かれているので、するしかないのです。一人で暮らす、というオプションを選択したら、「一人で家事を全部こなす必要がある」という副次的側面がマストでくっついて来た、という現状なわけです。
表題に戻りましょう。
「家事をしない人が、家事を行う為」には、きっと私のように外発的要因に端を発するもの、または、内発的要因から家事を行う、という二軸で切り分けて考える必要があると思うのです。
外発的要因から家事を行うようになる場合
外発的要因から家事を行うようになる場合には、例えば「一人暮らしを開始したから、自分で家事を全て行わなければならなくなった」という状況を挙げることができるでしょう。この他にも「家人が病気等の原因で倒れてしまい、自分が家事をしなくてはならない状況に置かれた」というものも包含されます。
この場合、考えられる流れとしては、
①家人が倒れてしまう等の原因により、家事を自分一人で行わなければならなくなる
②「家事」という行為が意外と重要な行為であるにも関わらず、コストがかかる(めんどくさい)ことに気付く
③「家事」という行為は、必要不可欠な行為であり、家事を行う人の役割は軽んじられるものではない、ということを認識する
という流れになるのではないでしょうか。
内発的要因から家事を行うようになる場合
これは、なんらかの要因に触発されて、家事を行うようになる場合です。例えば「家族の重要性に気付かされるイベントがあり、なんらかの方法で家族に貢献できないものか? と考え始めた」場合等が該当します。「家事をしたら、家族(他人)に褒められた」という経験も、この"なんらかの要因"に含まれる経験であるといえるでしょう。
この場合の流れを見てみましょう。
①(なんらかのきっかけに触発されて)家人に貢献したいと考えるようになる
②貢献できるものを探す
④意外と家事って重要であることに気付く
⑤必要な役割であると認識する
といった形でしょうか。前項の外発的要因に依る動機付けと比較した場合に、起こりうる可能性としては低いかもしれませんが...
まとめるよ
まあ、まとめると、
「家事してくれているお母さん、お父さん、奥さん、旦那さん等には感謝しなくちゃいけないよ」
という点を積極的に主張していきたいです。わたしは。
家事の重要性に気付いて、自分からするようになる瞬間は、その人にとって一種のパラダイムシフトといえるでしょう。家族、という単位で生活している場合には、当該共同体に対するとても大きな貢献への一歩を踏み出したことになります。
ぜひ、家事に参加してない人は、家事をして欲しいと思うし、私も実家に帰った時にはポジティブに家事に参加していきたい次第です。
皿洗ってきます。ではでは。
(taro)
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