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募金[短編小説]

「えへへ、ごめんね、こういうの見かけるとついついちょっとだけ募金しちゃうんだよね」

吉祥寺の人でごった返した商店街を彼女と歩いていた。
駅を出て数歩のところで小学生のボランティア団体を見つけるとフラフラっと寄って行って小銭を入れて戻ってきた。

「なんの募金だったの?」
「えっと…ユニセフ?的な?世界の子どもたちを…どうたら?みたいな?」

こういった呆れることは日常茶飯事なのだが、彼女は都会で生きていくことに本当に向いていない。
一歩外に出れば、政治団体、宗教団体、各種ポケットティッシュや紙うちわなどありとあらゆるチラシをひとつも断らずにもらってしまうような人なのである。

「ふーん。俺はこういうの見かけるたびに募金に価値なんてあるのか?って思うんだ。」

歩きながら話し始めた。

「?」

「例えば決められた予算…100万円をある被災地へ募金しようと思う。
寄付の場合は被災地を想いながら100万円を振り込んだら、あーよかったな、いいことしたな、それでおしまい。」

「うん」

「だけど例えば寄付ではなく、同じ予算で被災地へ観光に行き、宿泊し、お土産をたくさん購入するとしたら?
現地ではいろんなことを見たり聞いたりして、帰ってきたら家族や友人に思い出話と共にお土産を配ったりする。
ただ寄付をすることに比べてこの方が遥かに幸せになる人が多いんじゃないかと思うんだ。」

「ほぉ〜なるほど。」

「第1に、自分が楽しめるということ。
第2にそれを周りの人に伝えることで、支援の輪が広がる可能性が大きいということ、そして3つ目はお金が「労働や制作の対価」として被災地にわたるということ。
これが実は大切なことなんじゃないかと思っていて、物がどれだけ売れたかとか「ベストセラー!」みたいな記録や数字って宣伝しやすいし尚且つお金では買えない価値だと思うんだ。
これはいいものだ!って売り上げや人気度で示すことってなによりも現地の人や地域を励ますことができるんだろうって。」

「うんうん」

「こういう方法だと自分で支払ったお金が誰に渡ったかがわかりやすいのもいいんだ。
募金の場合だと精一杯心を込めて募金したってそれがどのように運用されていくかが不透明だったり、分配金額を巡ってトラブルになったりするんじゃないかとか思ってしまうんだ。
ユニセフとかでよくある「たった数十円で子どもの命が1人救えます!」みたいなのも全員を助けられるわけじゃないから、助かる人と助からない人、募金が行き渡る人とそうでない人で格差が生まれて争いになるんじゃないかとか。考え過ぎかもしれないけどね。」

「へぇー、そんなこと考えたこともなかったよ。」

それはわかっている。
何せ彼女は行き当たりばったりでなにも考えてなんていないのだ。
なにを話しても適当な相槌で返してきて、話したことは3歩歩いたら忘れている。
鶏だってもう少し賢いはずだと思うが。

それをわかっていても、俺はいつもこんな理屈っぽい話ばかりしてしまう。
なぜなら、彼女以外の人に話してたところでうんざりして最後まで聞いてもらえないか変人扱いされるだけだから。

「まあ大金持ちならまた考え方は違うんだろうけど、ただのサラリーマンの俺にできることは限られていてその上でっていうひとつの考え方だけどね。」

でも、ふと、足を止めて聞いてみた。

「…君は、そういうこと日頃考えないの?
何かに疑問を抱いたり、悩んだり。」

俺が語り続けている間、なにを思っていたのか。

「うーん。
…おいしいタピオカ飲みたいなぁ〜とか。」

気づいたらタピオカ屋の長い行列の最後尾にいた。
数メートル離れたタピオカ屋を見つめている彼女の瞳は輝いていた。

そして、彼女はいつも通り俺に微笑みかけ、言った。

「だって、その方が楽しいでしょ?」

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