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<原発考>神話なき明日へ

 岸田文雄首相は参院選後の8月、ウクライナ情勢に伴う電力の安定供給への対応や、脱炭素社会の実現に向けて原発を最大限活用すると表明。次世代型原発の開発や建設、既存原発の運転期間延長を打ち出しました。東京電力福島第1原発事故を踏まえ、原発依存度を低減させるとしてきたエネルギー政策からの大転換となります。脱炭素社会の実現に向けた「GX(グリーントランスフォーメーション)実行会議」などで検討を進めており、年末までに結論を出すとのことです。
 こんにちはド・ローカルです。今回は冒頭から硬派な問題から入りました。兵庫のみなさんは、原発は他府県の問題と思っていないでしょうか? 国内の原発の大半は、ここ神戸の三菱重工業神戸造船所で造られ、保守管理されています。過去をたどれば、兵庫県にも原発建設計画がありました。 

かつて兵庫にあった原発計画

かつて原発計画の舞台となった香美町下浜地区

 対岸の関西電力高浜原子力発電所から上る蒸気は、冬の寒さが増すほど鮮明になる。
 福井県高浜町音(おと)海(み)。71世帯155人の小さな漁村に暮らす滝山佳枝(70)=仮名=は、白くかすむ原発建屋に目をやり、つぶやいた。「福島は本当に気の毒だ。でも、この町には欠かせない」
 高浜原発3号機が来年2月に定期検査に入ると、関西圏の電力需要の5割を担ってきた、若狭湾の4原発13基(日本原子力発電敦賀原発を含む)すべてが止まる。東京電力福島第1原発の事故後、国の安全評価手順は定まらず、再稼働の見通しは立たない。
 滝山の親類は民宿をたたみ原発で働く。国から原発立地自治体などに下りる電源3法交付金などの「原発マネー」で、野球場や文化会館、温泉付きの道の駅など、豪華な“箱もの”が立った。町の歳入の約半分、年四十数億円が交付金や原発関連の固定資産税などで賄われ、町が行う下水道や保育所の整備、医療、福祉など町民生活のすみずみまで入り込んでいる。
      
 若狭湾は、運転開始から40年以上が2基、30年超が6基と「高齢原発」を抱える。福島の事故は人ごとではない。高浜町副町長の日村健二(42)は「衝撃は全国のどこより大きい」と認める。
 それでも町議会は9月、原発堅持を求める意見書を全国に先駆けて可決した。高浜原発の4基が廃炉になれば、町の総合計画に盛り込む事業の大半は実施不能になる。
 「原発は、町民のゆりかごから墓場までを支える地場産業だ」と日村。再稼働に慎重な自治体が多い中、突出した原発堅持の動きは、原発なしに将来像を描けない町の焦りを映し出している。
 大飯原発(4基)が立地する東隣のおおい町も事情は同じ。町長時岡忍(74)は言う。「財政難や過疎から抜け出すために選んだ道だ。住民には国のエネルギー政策を支えているという自負がある」
      
 高浜町から直線で西へ約100キロ。兵庫県香住町(現香美町)下浜地区の三田浜にも1967年11月、関電の原発建設計画が浮上した。
 翌月の「香住町報」には、学校や道路の整備が進む▽行政サービスが向上する▽優秀な青年が定着する―と原発誘致の利点が列挙され、「1軒1千万円もらえる」とのうわさも飛び交った。
 「特産の梨の選果作業も原発賛成、反対派に分かれてやった」。反対運動の先頭に立った「旅籠(はたご)さどや」の吉川邦夫(74)は振り返る。自転車店経営の有田実(75)らと学習会を重ね、民宿経営の福田昌子(69)は「大事なのはカネか、子孫の命か」と声をからして町を回った。測量調査はバリケードで阻止した。3年に及ぶ論争の末、町は誘致を断念した。
 あれから40年、原発事故は現実になった。「お金では買えないものを守った自負はある」と福田らは胸を張る。
 だが、村岡、美方町との合併後も人口流出は止まらず、高齢化率34%は県内トップ。2008年度には国の財政指標で破綻寸前とされる早期健全化団体に陥った。有力な産業も育たず、「このままで町は生き残れるのか」(元町議)との危機感は、当時以上に強い。
 原発と共に生きる町。原発を拒絶した町―。別の道を選んだ二つの町はいま、どちらも自立への道筋を描けず、もがいている。福島原発事故は、原発の「安全神話」を崩壊させただけでなく、地方を縛る国の補助金行政の在り方にも疑問を突き付ける。=敬称略、年齢、肩書きは取材当時=

(2011年12月30日神戸新聞朝刊)

 この記事は東日本大震災から9カ月後に私が書いたものです。香美町だけでなく、福井県の高浜町や大飯町にも取材に行きました。盤石とされてきた既存システムへの信頼を根底から揺るがした福島第1原発事故。災害列島に生きる私たちは、これから、どこへ向かうべきなのか。さまざまな現場で起きている「神話」の崩壊と、変化の芽を追った連載の1本です。
 この連載では、足下の兵庫で、日本の大半の原発が造られていることも伝えました。続いては三菱重工業神戸造船所についてです。

原発のトップメーカー

三菱重工業神戸造船所

 年の瀬の27日、神戸市兵庫区の三菱重工業神戸造船所を原子力政策担当の経済産業相、枝野幸男(47)が訪れた。
 視線の先に、100台ものパソコンが並ぶ。モニターには原発内の複雑な配管類が立体的に表示され、どこまで地震や津波に耐えられるかを解析していく。視察を終えた枝野は「『ものづくり日本』の高い技術に自信を得た」と満足げな笑みを浮かべた。
      
 「神船(しんせん)」の呼び名で親しまれる同造船所は昨年7月、1世紀にわたる商船の建造から来年6月で撤退すると発表。現在、最後の1隻の建造が進む。そのさなかの大臣視察は、「原発づくりのトップメーカー」という“もう一つの顔”を世間に知らしめた。
 同造船所の2010年度生産高は3522億円。神戸市内の製造品出荷額の12%を占め、うち7割が原子力事業だ。プラントの設計から建設、検査までを請け負う。福島第1原発の「沸騰水型」とは炉型が異なる「加圧水型」を日本で唯一手掛け、国内の54基中、関西電力などの24基が同造船所製。1990年代から始めた海外への原発機器輸出は、国内シェア85%を占める。
 「米国、北欧、ベトナム、ヨルダン…」。参入を目指す新規建設計画を列挙し、同造船所長・門上英(58)が力を込めた。「福島の事故後も、世界的には原子力の必要性は揺るぎない。われわれには世界に貢献できる技術がある」
 だが、話が国内に及ぶと「国策に絡む問題」と、途端に表情が曇った。東日本大震災後、政権は「脱原発依存」を打ち出し、定期点検後の再稼働は見通しが立たない。同社が請け負う敦賀原発3、4号機の新設は中断したままだ。
 取引先の中小企業は神戸市内を中心に約300社。孫請けなどを含めると兵庫県内に2千社。原発を持たない兵庫でも、原発への逆風は地域経済を直撃している。
 「船がなくても原発がある、と期待したが…」。同市長田区で祖父の代から商船の部品を納める鉄工所経営の男性(60)。同市兵庫区の機械メーカー社長(62)は、原発機器のネジ穴を自動で磨く装置を独自に開発し、同造船所製の全原発に設置された。だが「新設がないと、注文も来ない」とため息をつく。
      
 県内には、世界最先端の新エネルギー技術も同居する。
 パナソニックが神戸市西区で研究開発する太陽電池「HIT(ヒット)」は、電気への変換効率の高さで米国企業と世界一を競う。三菱電機も尼崎市内で太陽電池開発を進めており、研究員の新延(にいのべ)大介(32)は「震災後、エネルギー開発に携わる責任の重さをより強く感じるようになった」と話す。
 だが、政府のエネルギー政策は腰が定まらない。既存の原発をどう扱い、新エネルギーへの転換をどこまで進めるのか。迷走する政策は、技術立国を支える「ものづくり」の輝きを曇らせ、地域経済の活力も奪いかねない。
=敬称略、年齢、肩書きは当時のも=

(2011年12月31日神戸新聞朝刊)

 取材当時は、民主党が政権を担っていました。枝野幸男経産相に随行する形で、三菱重工業神戸造船所を視察しました。写真に映っているのは原発機器のストレステスト(耐性評価)をしている様子です。約100人の社員が黙々とパソコンに向かって作業を続けていたのを記憶しています。

 福島第1原発事故から2年後、香美町への原発誘致に反対した住民らが、その記録を本にして出版しました。反対運動の経緯や写真などが記されています。

原子力発電所誘致調査を中止せよと訴える下浜住民=1968(昭和43)年11月24日、当時の城崎郡香住町(現美方郡香美町)、香住町役場
バス停にも反対の張り紙があった

 最後に10年前に、本紙「日曜小論」というコラムに掲載された記事を紹介します。

  日本は自動的に脱原発への道を歩むだろう。社会学者の小熊英二さんが「『東北』再生」という本の中でそう述べている。
 好むと好まざるとにかかわらず、もはや「脱」以外の道を進むのは難しい状況になっている。そういう指摘だ。
 どういうことか。
 国内には54基の商用原発がある。事故が起きた福島第1原発1~4号機を除いても、約3割が運転開始から30年を超え、老朽化が問題になっている。
 寿命がきた原発は順次、廃炉になる。原子力発電を維持するなら、代わりに新しい設備を造り続けるしか方法はない。
 電力会社は古い原発を順次、新しいものに置き換える計画を持っている。福島であれほどの事故が起きた今も、その姿勢は変わらない。
 例えば、関西電力の中長期計画は「地域の方々からのご理解の獲得等、将来の新設・リプレース(置き換え)に向けた取り組み」を進めるとする。
 果たしてそれは可能なのか。
 関西の原発は福井県に集中し、やはり多くが30年を超えている。これ以上、福井県で引き受けてもらうには限界があるだろう。そうなれば新たな立地先を探す必要が出てくる。
 兵庫県が候補地になっても不思議はない。但馬の香美町にかつて原発立地の話があった。
 もしも「脱」以外の道を選ぶのなら、私たちは県内への原発の受け入れも真剣に考えねばならないのではないか。
 ただ、世論調査では大飯原発の再稼働について過半数が批判的だ。福島の事故も収まっていない。今の状況で「ご理解」を示す地域があるかどうか。
 「脱原発は絶対にない」と関電の八木誠社長は断言した。だが既存の原発の火は一つずつ消えていく。小熊さんの言うように、この状況が続けば最終的に国内の原発はゼロになる。
 自然消滅も日本らしい選択と言えなくはない。しかし同じ「脱」の道を行くことになるのなら、国民の意思としてしっかり選び取りたいものである。

(2012年7月15日神戸新聞朝刊から)

<ド・ローカル>
 1993年入社。タイトル「神話なき明日へ」は、福島第1原発事故で、原子力の安全神話が崩れ、日本の明日のエネルギーに真剣に向き合わねばならない、との意味が込められています。
 現在、脱炭素社会の実現や、燃料・物価高騰の課題を抱える日本にとって、岸田首相の打ち出した政策のように進むのが正しいのでしょうか? 私には〝先祖返り〟に見えて仕方ありません。

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