TVアニメ学校の怪談ふり返り⑤

今回は第6怪「扉を裂く悪魔の手 惨劇の夜」について。皆のトラウマであるらしいババサレが登場する話しですね。

ババサレって放送当時は全く知らなかったのですが、常光徹著『学校の怪談 口承文芸の研究Ⅰ』によると本当にある怪談らしいです。以下はその内容。

「夜中の二時頃に団地に現れる。ドアをノックする音がし、ドアを開けるとお婆さんがいる。お婆さんは鎌を持っていて鎌で襲われるが、ババサレと言うと助かる。この話を聞いた人のところへ一週間以内に来るかもしれない。」

なぜ鎌で、なぜお婆さんなのかについては常光先生の考察によると、鎌の陰惨さと山姥・鬼婆のイメージによるとのこと。あと、ババサレという名前の由来は「婆去れ」という呪文がいつの間にか妖怪の名前になったのではということ。なるほどなー。

ではアニメの方の話しに入ります。もとの話しは夜中の2時に現れるとなっていますが、アニメでは普通に夕方以降って感じですね。主要キャラの家に現れるのは団地っぽいレオの家に最初に現れた辺りは、元の話を意識してるのかな?

それはさておき、この回におけるテーマなのでは?と個人的に思っているのは「伝統的な恐怖感と現代的な恐怖感との対比」です。

まず伝統的な恐怖感ついて。例えば、ババサレはもともと「ババサレ」と3回言うと神社の社に霊眠されていたけど、山の開発で神社の結界がボロボロになって目を覚ましたとのこと。

怪異の出現は神社の神様の霊力の減退のためと考えるのは日本人的にはよくある話で常光徹著『妖怪の通り道 俗信の想像力』によると、『看聞日記』という古文書に北野社の境内にある森に、頭は猫、身は鶏、尾は蛇という怪鳥が現れたのは北野社の神様の霊力が減退したからだと人々が思っているという表記があるそう。

あとは、ババサレがさつきの家に入ってくる時のシーン。窓とか玄関を散々鎌で傷つけておきながら天井を突き破って入ってくるシーン。放送当時は「割った窓から入れよ」とツッコんでいたのですが、これも意味があるそうです。というのは、日本の妖怪って窓から入ってくるのは稀だそうです。

常光徹著『魔除けの民俗学』によりますと、昔の街を描いた絵等を見ていると妖怪が窓から家の中を除いているものはあるが、入ろうとしている絵はないのだとか。そのため民俗学において日本家屋に軒先や縁側を設ける理由は、家の中と外との境界を多くとることによって妖怪たちが家に入ってくるのをしにくくする為であると考えられているそう。

なので、意表をつく意味もあって天井をつきやぶって来るという演出にしたと私は思っています。

次に現代的な恐怖感について。それはババサレがいなくなった後のカーヤこと天邪鬼のセリフ「子どもの恐怖心につけこんで現れる。はなからお化けを信じていない大人には見えない。」や「怖いと思えば何度でも来やがる。」というもの。

そもそも日本の妖怪というのは出現条件や撃退方法が決まっているものが多く、人間側が怖いと思うかどうかというのは妖怪の出現にはあまり関係ないのです。例えば、百鬼夜行に出くわしたら不動明王のお札を持っていたり、不動明王の印を組むと助かるとされています。

しかし、ババサレの場合は神社という霊眠させる場所がなくなった今、いつまた現れるかも分からず、撃退方法も分からないという状況で話が終わっています。

この状況に恐怖を感じるのは現代人特有のものでしょう。というのも現代の方が昔よりも世の中の変わる速度が速いからです。「もし自分たちが気づかないうちに良い物(今回の話しでは神社の結界)がなくなっていて、悪い物(今回の話しではババサレ)が生れていたら・・・」という恐怖感が現代にはあるのです。

現代のホラー作品というのは伝統的な恐怖感と現代的な恐怖感とが合わさって成り立っている。そんなことを教えてくれるお話しだったのです。


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