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ラジオの時間なデザイン論

美大での授業の様子を、神戸の私のデザイン事務所兼デザインスクール(デザインレッスン)で、小中学生によく質問をされます。
一時期はオンラインで授業を配信していましたが、少しイメージがしにくいので対面での授業の様子を中心に子どもたちには伝えています。受講人数はだいたい100名から多くて160名程度ですから、広い教室にずらりと若者たちが並んで座っていて、そんな光景は皆さんもイメージが湧くことと思います。

さて、まず子どもたちが驚くのは、堂々と居眠りをしていたりスマホでゲームをしていたりという環境です。「そんなことしてていいの!?」と口を揃えて言います。
私は「大学生はもう大人だからね。自分がそれでいいと思うならいいんじゃないかな。」と返します。もちろん、一生懸命話を聞いて勉強する学生もたくさんいますが、やはりこちらとしては気分の良いことではないというのは正直なところです。ところが...

そうした学生の授業態度に対して、冷静に思いを巡らしてみたときに、ふと思いついたのはラジオでした。
授業の内容や到達してもらうべき目標にもよるのはもちろんですが、私の担当している授業の場合に関しては、良い意味でラジオでいいのかも知れないと思ったわけです。
授業で話した内容を漏れなく吸収するに越したことはありませんが、少なくとも専門的な勉強を進める学業の場ですから、興味のないことがどんなことなのかを自覚することにも意味はあるように思うのです。

振り返れば、私もかつて大学生のときに、どうしても興味を持てなかった授業はあります。今考えるともったいなかったと後悔をするのですが、大学は今もなお、とくに美大となるとやはり専門家を養う場ですから、興味のあることをとことんやれば良いと個人的には思っています。

私は、ラジオを流しながらデザインの仕事をする時があります。まさに流しているわけですが、その話題の中にふと手が止まる内容があったりします。これが「私の興味」というものなのでしょう。興味を抱いたその瞬間を逃すまいと、今度は反対に手を止めてそちらの話に集中します。

あるラジオ番組が大好きで、毎週楽しみにしていて、その時には他の予定を入れない熱心なリスナーがいる一方、番組の制作当事者から見れば私のような不届きな聞き方をする人間もいる。
それはそれで良いのではないか?後者にしても、得るものが100%の確率で皆無ということでもないですし、それどころか「自分の大好きなスマホゲーム」の手が止まるほどの何かがあるのでしょうから、打率は低くても当たればホームランにだってなる。

そんな考えから、授業を教員間の対話形式にして、まるでラジオのような、デザインの業界に関する裏話や学生時代の過ごし方、好きな小説や映画など、型にはまらないざっくばらんな話をする授業ができないかと提案すると、そこはさすがの美術大学。海外帰りのアクティブな先生がやりましょう!と同意してくれました。
そのような経緯で試しに実践したラジオ形式の授業。普段聞くことのできない話を聞けることができると、これが学生達にじつに好評でした。今も時と場合によって、そうしたことを行う時間を設けることがあります。

時代は常に流れていきます。この流れを受け入れるも拒むも、個人の頭の柔らかさに関わっている部分がとても大きいのではないかと感じる40代。流れ行く「流行」にのるのとはまた別で、時代の流れを意識しながらこれまでとは異なる方法を思いついたのですが…

SNSの発達によって、自ら欲しい情報を得ようと能動的に動かなくても勝手に関心のある情報が流れ込んでくる昨今、たしかに若者に対する検索能力の不足が一部で指摘されていることは確かです。とはいえ、能動的な検索能力を身に付ける必要はもちろんあるものの、時代の流れに個人レベルで抗うことはできません。

何が正解かはもちろんまったくわからないのですが、まずはやってみる。物事を俯瞰しながらアイデアを試してみる。それだけが今私にできることなのでしょう。

それにしても、教育は難しい。

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