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vol3.サザエさん症候群になりました

こんにちは、小林です。

現在は朝活イベントの主催者をしている自分ですが、もともとは人との交流をまったくしない、“引きこもり”状態の生活をしていました。

※前回のnoteはこちら

今回のnoteは、私の異業種交流会の原点というか、仕事に大きく変化があった出来事について話をさせてください。

私の学生時代は友人と遊ぶことなくゲーム三昧。就職先を選んだ基準もゲームができるかどうか。自宅に引きこもってゲームばかりしていた自分の運命を大きく変えたのは、ある仕事との出会いがキッカケでした。

その仕事とは「パソコンを使ったデザイン制作」です。

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私が1年目に配属された部署は、誌面の編集部門。そこで私はDTPオペレーターとして働くことになりました。

最初は右も左もわからない状態でしたが、慣れてくるとこの仕事がとても面白く感じられるようになったのです。

というのも、私は学生時代から、趣味でホームページ制作をしていました。それもあったのでしょうね。当初は組版のルールがわからず苦労したのですが、慣れてくると図形の配置や文字入力をして誌面を作る仕事が面白くなり、やりがいを感じながら働くようになりました。

ですが、私は公務員。この仕事に携わることができたのは、最初の1年のみ。2年目以降は別の業務を担当することに。まあ、公務員だから仕方ないですよね。

そんな中、私はある部署へ配属されたときに、人生のどん底を味わうことになります。

不慣れな仕事。それに対して、体育会系上司から罵声を浴びせられる日々。そのせいで私は精神的に参ってしまい、職場へ行くのが苦痛になってしまいました。

「サザエさん症候群」って言葉はご存じですか?日曜日の夜にサザエさんが放映されるあたりで、翌日の仕事のことを思うと憂鬱になると体調不良になるというもの。

実は私、まさにその状態だったのです。

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サザエさんが終わるタイミングで、翌日からまた1週間怒られることを考えたら、気分は落ち込み、おびえる日々。今、思い返してみると、うつの一歩手前だったのかもしれませんね。

そんな状態の中、私は本当に自分がやりたいことが何かを、じっくりと考え直すことに。その結果、出てきたのは・・・

「1年目の時のように、パソコンを使ったデザイン制作をやりたい」

ということでした。

ただ、公務員でいる限り、私はこの仕事に希望して就くことはできない。なので、私は公務員を辞める決断を下しました。

当然、両親には猛反対をされました。それはそうですよね。せっかくなれた公務員という安定した職業を捨てるわけですから。

ですが私は、その親の猛反対を振り切り、公務員を辞めました。そして私は、民間企業にWebデザイナーとして転職することになります。

でも、この決断がなければ、私は朝活イベントを開催していなかったはずです。おそらく世間にも目を向けず、異業種交流会というものがあることにも気が付かなかったでしょう。そう考えると、公務員を辞めたというのは、私の人生の転機といえる出来事だったといえます。

今回は私自身の話が中心でしたね。ですが、この出来事がなければ異業種交流会をやっていなかったわけですから、今回は自分の転機となる出来事について書かせてもらいました。

民間企業に転職し、大好きな仕事をする毎日。そんな私が異業種交流会というものを知ったのは、1本のメルマガがキッカケでした。

次回は、私が1本のメルマガと出会い、初めて異業種交流会に参加したときの話についてお伝えします。

今日もお読みいただきありがとうございました。

■千葉朝食会モニスタのホームページはこちら
https://chiba-morning.com

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