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台風21号による関空封鎖回顧録

小畑タカユキ

2018年9月4日。
台風21号で関空封鎖になり、閉じ込められた時のお話をつらつらと。

今宵は、台風24号が接近しております。
くれぐれもご注意を。。。

【目次】
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台風21号上陸
取材
開港記念日の悲劇
インフラが壊滅状態に
関空の夜
ガスが止まる
泉佐野行きのバス
関空脱出までの道のり
泉佐野に着いた
おわりに
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おまけ

台風21号上陸

年に一回のハワイの旅。今年は、妻の病気のこともあって、9月に変更したのだった。(いつもは、6月末〜7月初旬)

そして、この時期台風21号が上陸するという。なんともタイミングが悪い。
ひとまず、関空の連絡橋が渡れる時間に移動することにし、朝の10時くらには家を出た。

関空と天気予報のサイトを確認しながら関空へ向かう。途中で雨が激しくなってきた。まだ大丈夫、連絡橋は通行止めになってない。

車を預け、そうそうにチェックインを行う。発券できたということは、この時点では飛ぶ前提だったのだろう。

出発まで、半日以上あるwまずは、腹ごしらえ。関空内のレストランでお昼を食べる。それでも、時間はまだまだ。やることもないので、とりあえず出国することに。出国ゲートも難なく通過。

出国ゲートを通過して、とりあえずスタバへ。コーヒーを飲みながら時間を潰す。スタバの店員の方とも「今日は飛行機飛ぶんですかね〜」なんて会話もしたのだけど。

ほんとに、雨風が強くなってきた。外を見ると、雨が横殴りに吹いており、先がまったく見えない状態だった。

関空は、ガラス張りだったので、雨と風でガラスがガタガタと言っている。結構怖かった。ガラスが割れて破片が飛んできたらどうしようとか。いらん想像をしてしまう。

この雨風のせいで、空港内を走るモノレールが運転を見合わせていた。仕方なく、歩いて出発ゲートへ向かう。

取材

出発ゲートへ向かう途中、妻が産経新聞の方から取材を受けた。外の様子を見てどう思うか、名前や年齢も聞かれる。外はこんな様子でした。

その内容が、こちらのYahooニュース↓
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180904-00000606-san-soci

その横で、僕が撮った動画が少しバズったのでした。

この動画をきっかけに、アメリカのニューヨーク・タイムズから取材をいただきました。ありがとうございます。


さすが、ええ写真つこてはる。。。

本紙も、本土の友人から持ってきてもらってゲット!

と、後日談はさておき。。。
話を戻します。

開港記念日の悲劇

取材を終えた後。ラウンジが使えたので、ラウンジで仕事をすることに。このときは、ネットもさくさく使えてた。

そんなこんなしているうちに、テレビから関空の連絡橋にタンカーが突っ込むというニュースが飛び込んでくる。そのときは「うぁー」というぐらいの感想だったのだが、、、

これが、あとあと大変なことに。。。

それにしても、関空側から情報が全く入ってこない。ラウンジでしばらく過ごしていると、航空会社の方が集まってくださいとのアナウンス。今日は、飛行機飛びません。と。これから、再度入国してもらいます。と。ただそれだけ。

職員に状況聞くと、機械室が地下にあり浸水してしまい電気系統がやられてしまったとの事。復旧の見込みナシ。奇しくもその日は関空の開港記念日だった。

入国時に誘導してくれたのは、開港以来働いている職員さん。この23年間で初めての経験とのこと。それくらい危機的状況だったようだ。電話もつながらないし、関空内でも情報伝達がうまくいってないようだった。

インフラが壊滅状態に

関空が空港としての機能を果たさないなら、一刻もはやくこの場所から抜け出す必要がある。関空側は、その判断も遅かったのではないか。(こちらに情報が降りてこなかっただけかもしれないが)

関空は地盤沈下もあり、今回の台風で想定していた波の高さを超えてしまったようだ。リスク管理はしているはずだが、読みが甘かったのか、今回の台風が凄すぎたのか。地下に電気系統をまとめていた関空の設計も考えものだ。

情報の取得は主にTwitterLINESkypeでもやりとりしてたけど全くダメ。今回致命的だったのは、ネット回線がアウトになってた事。完全に外の情報もシャットダウン、こちらからも発信が思い通りにできない。

妻がガラケーで、ワンセグ対応だったので、テレビの情報も見れることに少したった頃に気がついた。関空内、混乱しているのはわかるけど、外からの情報のほうが早いってどういうこと。

職員に状況を聞いても復旧見込みナシと言われる。航空会社に聞いても、わからないのでこの番号に電話して、と紙を渡される。そもそも電話通じへんし。この状況下で正しい判断をするのは難しいかもしれない。

だけど、有事の場合は、空港側が率先して対応していかないといけないと思う。今回は自然災害でしたが、テロが起こったらどうするんだと。

いや、まじで今後オリンピックとか万博とか日本でやるんだったら、そのあたり危機管理しとかないと。

ちなみに、空港内は停電してこんな感じでした。

自衛隊が来るという話も聞こえてきたけど、現場では特にそんな気配もなく。そういう意味では、国側の初動も遅かったのではないか。まさかここまで関空が機能しなくなるということを予想してなかったのだろう。

空港内のレストラン、お店、コンビニもほぼ閉鎖。一部コンビニが開いていたが、商品もほぼナシ。そしてレジに並ぶのに長蛇の列で、会計終わるまで2時間くらいかかった。もう、USJのアトラクション並。

関空の夜

夜は車の中で過ごす。空港内よりは快適。車から電源も取れたのでスマホとモバイルバッテリーを充電。モバイルバッテリーが大活躍だった。常備して持っておくことを激しくオススメする。スマホが使えなくなって通信手段がなくなると致命的。

長い夜だった。

ガスが止まる

翌朝、日航ホテルに向かい、宿の状況を確認。まだ早朝のためか、人は少ない。並べば、当日の宿を抑えることができそうだったので、抑えることに。部屋を無事抑えることができて一安心。

宿の予約ができたので、家族ともに気持ちが落ち着いた。そうこうしているうちに、お昼の時間になったので、日航ホテルのレストランに向かう。

どうも、ランチ営業で終了らしい。夜のことは、また考えるとして、温かいごはんにありつくことができた。

昼ごはんを終え、支払いに向かう。電気系統がやられたせいで、クレジットカードも使えない。現金を持ってない人が利用したら、どう対処するのか。。。

こう思うと、完全にキャッシュレス社会になると、どうなるのかと考えてしまった。

そんな話から、なんで夜はやらないの?という質問をしてみた。そこで、衝撃の返答がきたのだった。従業員は言う。「ガスがもう止まるんです」ガスが止まるのか、そうか。

その時は、ふーん、って感じでやり過ごしたけど。まてよ。ガスが止まるということは、お湯が出ないってことか。ホテル押さえたけど、お風呂でお湯が出ないのであれば、関空内にとどまる理由がないではないか。

お昼後、ふたたび日航ホテルのロビーに戻る。カウンターには長蛇の列。チェックアウトする人、チェックインする人。ホテルのロビーは混乱し始めてきた。

しばらくすると、JALの方が周りに声をかけ始めた。預けていた荷物を受け取れるとのこと。僕たちは、ひとまず荷物を取りに空港へ引き返した。

泉佐野行きのバス

無事荷物を受け取り、再び日航ホテルへ。長蛇の列は変わらない。ロビーには、少しお偉いさんっぽい方もでてきていて、ホワイトボードに現在の状況を書き出してくれていた。そこには、泉佐野へ行くバスが出るとお知らせが出ている。

ホテルの方も、出れるなら関空を出たほうがいい。そう助言してくれた。予約していた部屋は、キャンセルしてもらった。その足で、大きな荷物を転がしながらバス停へと向かう。

バスの列まで、向かうのに一苦労。。。子連れで、大きな荷物がたくさんある。雨は通り過ぎて快晴だったのが救い。

バスの列に並んでも、一行に進む気配がない。ほんまにバス乗れるんかいな。。。と思いながら並んでいた。

時々、子供をトイレに連れて行ったりして、途絶えることのない列にひたすら身を委ねる。

ようやく、バスの乗車場所が見えてきたのが、並んで3時間後。長い。とにかく長い。橋がタンカーでぶっこまなければ、こんなことにはなっていなかった。このときばかりは、どこぞの会社か知らんが、タンカー会社を恨んだ。

ようやく、バスに乗って泉佐野へと向かう。はぁ、、、ようやく帰れる。。。そう思ったのが甘かった。

関空脱出までの道のり

いいペースで進んでたけど、、、バスは、いつのまにか全く動かなくなってしまった。運転手さんに聞いても、状況をつかめてないらしい。(無線が電話回線を使っているということで、まったく連絡が取れないそうだ)

2時間、3時間たっても、牛歩の進み。運転手さんの計らいで、道路に出て休憩を取ってくれた。合わせて、トイレ休憩もこまめに取ってくれたのは助かった。(バスにトイレが付いてたので、よかった)

バスを降りて休憩していると、本来バスしか通行できないはずが、一般車両がなだれ込んでいた。そのとき、ようやく原因がわかった。これか、進まない原因は、、、

関空側が、連絡橋の方まで、きちんとコントロールできてなかったのは事実。一般車両の方に「なんで並んでるの?」って聞いたら、「ダメ元で来てみた」という。。。

そりゃ、混乱するし、渋滞も起こるわ、、、挙句の果てには、交通誘導もされてないっぽかった。。。おいおい。

ひとりの身勝手な行動がその後の混乱を巻き起こす。

危機的状況に陥ると、自分だけ助かれば良い。と思ってしまうのはしょうがないこと。でも、状況はみんな同じなので、こういうときこそ助け合いしないと。

特に外国人、幼児連れの家族など、長時間の移動や先が見えない不安。こういうときこそ、しっかりとコミュニケーションを取っていかないと。

そんなこんなを繰り返しているうちに、あたりも暗くなってきた。喉も渇くし、お腹もすくし、疲れたし。ただ、バス車内はみんな明るい感じ。

お隣の人とお話したり、空港の職員さんも乗ってたので、当時の状況を聞いたり。中国人の方は、ずっと何かを食べてる印象だったw

バスに揺られて7時間。ようやく、橋の入口までたどり着く。ここまで来るのに、どれだけ大変だったか。。。有事の際の段取りは、しっかりと関空内で把握してほしい。

みんな不安だし、状況つかめないし。正しい情報を公式でこまめに発信してもらいたい。

あとから知った情報だと、トップの人が関空内にいなかったという報道があった。しかしですよ、トップがいようがいまいが、その場で権限持った人が迅速な判断をして、対処していかなければならないでしょうよ。

関空内の社内事情なんて知らんし。(愚痴ですw)

泉佐野に着いた

話は戻って。。。

関空から泉佐野まで長旅だった。橋を渡り終えた時、バスの車内はスタンディングオベーションだった。まるで映画のエンディングのように。

ただ、泉佐野で降ろされたのが23時半ころ。もう力尽き果てて近くのホテルに泊まることに。ネットと電話が通じるって素晴らしい。

泉佐野駅で、いくつかのホテルをあたったけどどこも満室。少し駅から離れてはいたが部屋を押さえれたので、そちらにお世話になることに。

久しぶりのお風呂とベッド。それだけで安心できた。ネットがつながるので、各所に無事を連絡。あとのことは、寝てから考えよう。

一晩寝ても疲れが取れない。歳のせいもあるだろうが、心身ともに疲れ果てた。人生でこんな経験をすることはまずないだろう。。。今後も起こってほしくない。5歳の息子はまだ状況をわかってないようだった。

起きたらまず、航空会社に電話。何度かけてもつながらない。これ本当にどうにかしてほしい。危機的状況の時くらいは、回線増やすとかしてほしい。

北海道の地震で、新千歳空港が閉鎖されたようなので、更に大変になってそうだけど。というか、対応がなんかアナログ過ぎないか。

無事電話も繋がり、フライトの段取りも付いたので、よかったのだが。。。もう、こんな経験はすることないだろう。(体験したくない)

おわりに

災害時にこそ、テクノロジーが大きく活躍するときだと思う。人手が足りなければ、AI駆使してなんとかするとか。

ブロックチェーン使って、航空券、宿、保険など一気通貫で管理できる仕組みを作るとか。なんかそんなことが必要だなと。あちらこちらに連絡しなければならないのが労力かかる。

とは言うものの、すべてはネットがつながっている前提のお話。ネットがつながらない世界になった途端に、経済は回らなくなるのではないか。

ネットのない世界で、私は生きていく自信がない。そして、ネットも電気もないと仕事ができない。

インフラが止まると我々は何もできない、無力だ。そしてみんなイライラして状況が悪くなる。自然災害なので、誰が悪いってことはないのだが。

当たり前が、当たり前でなくなる日は突然やってくる。そのためにも、今をしっかり生きようと思った。

妻が ステージ2の #乳がん になり、大事な人と、どれだけ一緒に過ごせるか。おいしいご飯を一緒にあと何回食べれるか🍴そんなことを考えながら生きてます。

おわり。

おまけ

ハワイの風景をお楽しみください。(iPhone 7Plusで撮影)

#平成最後の夏 #台風21号 #関空封鎖回顧録 #僕は僕でだれかじゃない

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小畑タカユキ

最後までご覧いただきありがとうございます🤗