言文一致では森鴎外以外は受け付けない
永井荷風の『断腸亭日記』を読んでいくと、昭和三年、齢五十になんなんとするあたりから、荷風がより頑固で偏屈、あるいは狭量で清潔になり、文士の意地を張り、売文家を咎めるような態度が目に付くようになる。
同時に創作意欲を失い、言文一致では森鴎外以外は受け付けず、西鶴や近松や論語を読み返すようになることが解る。
私は鴎外の史伝物に対する過剰な評価に対してはやや批判的で、何もない日々の雨だの晴れだのという記述そのものには無標性こそ認められるべきで、何日が雨で、その日に誰が訪ねて来たかということと、その前日が晴れであったということに過剰な意味を見出す必要はなく、なんなら何もない日の天候は省いても差し支えないと考えている。
このスタイルを至高のものとするならば、必ずそのスタイルをまねた作品がなくてはならないと書いている。
従ってそのスタイルをまねないでべた褒めをしている作家に対しては批判的である。
このロジックからすれば、『断腸亭日記』を書いている永井荷風が森鴎外にぞっこんであることには文句は言えないことになる。
なるほど、荷風は何もない日の天気を書き綴っている。
それにしても森鴎外だけとは…、さすがに狭量ではあるまいか。
芥川も志賀直哉のようなものを書きたいと思いながら、実は菊池寛のようなものが残るのではないかと考えていた。
菊池寛と云えば「通俗的」とだけ片付けられがちだが、今、村上春樹さんが自身の作品でいうところのエンターテイメントとエスタブリツシュメントのハイブリッドという作法に関しては、なかなか工夫し、成功したのが菊池寛ではなかったか。
そういう点では森鴎外はやはり過剰に無標性にこだわり過ぎた。
まるでけがらわしいものを振りほどくかのように冷徹に筆を運んだ。
人は老いると植物から鉱物へと嗜好を移すというが、鴎外はまさしく石になろうとしたかのようでさえある。
医師だけに。
断腸亭は五十を過ぎて、菊池寛的な「俗」に耐え切れず、また山本有三的な「德」にも我慢がならなかったようだ。
人間的なものを嫌い、西鶴や近松の前時代的風景、近代化以前の日本の中に、安らぎを求めていたようだ。
安らぎ?
安らぎとは何だろう。たとえば論語は急いで読む必要はない。
論語は逃げない。
いつでも好きな時に読めばいい。
今読むべき話題作ではない。
読んでどうなるということもない。
画期的な新解釈の余地もなく、なんなら読まないでも済まされるものだ。
この枯れた感じが論語の魅力だろう。
一方、今生きている人が今日書いているものを読むということは何と生なましく、猥褻なふるまいであろうか。
それは明日読もうとしても、もう読めないものなのかもしれない程度に尖っていて、ぎりぎりで取り返しがつかないものなのだ。
その生なましさに断腸亭は耐えられないのだろう。
しかし断腸亭もそうした生なましい日々を淡々と綴り生きていたことは間違いないのだ。
そして私もまだ生きている。
生なましい日々を、小林麻耶のブログを日々読みながら。
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