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読みと深読み

 谷崎潤一郎の『恐怖』の読みに関して、「私は医者が自分を健康体とみなしたことで、自分の仮病に気が付いた」とか「兵隊にとられて死ねると思ったらむしろ安心できた」とまで解釈することを私は深読みだと考えています。そしてそういうものはできるだけ控えるべきだと考えています。冗談なら冗談と解るように書かなくてはいけません。そうでもしないと、近代文学は訳が分からないものになってしまうからです。昔は私も少々ふざけても良いかと思っていました。しかし夏目漱石に関してはいくら探しても真面な評論が一つとして見つからないので、ふざけるのを控えています。よく読んでみると芥川龍之介、谷崎潤一郎、太宰治、三島由紀夫に関しても真面な評論は見つかりません。だからできるだけ正確に読み、時には読みに留まるべきだと考えています。

 あくまで私の中の基準ですが、深読みとは「そういう可能性がなくはないが、今一つ決め手に欠くもの」です。「私は医者が自分を健康体とみなしたことで、自分の仮病に気が付いた」という可能性はなくはないですが、その前に私なら偽医者を疑いますね。自分を疑うことはきわめて難しい。「兵隊にとられて死ねると思ったら安心できた」というロジックに持っていくためには「死にたがりだった」ことが前提として必要です。

『着眼と考え方 現代文解釈の基礎』(ちくま学芸文庫)みたいな駄目な本が多くの人に読まれてしまったことは残念です。この本は基本的に間違っています。

 たとえば夏目漱石の『こころ』において、最初の鎌倉の海水浴の場面で、西洋人は猿股一つです。「私」はそこにフォーカスします。この猿股はおそらく透けていたのではないでしょうか。猿股は水にぬれれば透けます。透けないのは水着です。ここまでは読みです。
 逆に深読みとは、透けない猿股を考えてしまうことです。
 誤読は「私」や先生に勝手に水着を着せてしまうことです。
 こういう区分けの中で、ロジックから浮かび上がる正しい読みを続けていきたいと考えています。


 今日の夕方から、この本を無料にします。はい。五時から無料になりました。五日間だけです。


 立ち読みでどこまで「読む」ことができるのか、「読む」とはどういうことなのか、そのあたりのことが比較的平明に、具体的に書けたんじゃないかと思っています。村上春樹さんの『一人称単数』に「は?」な人も「む?」な人も、「そういえば」「へー」と感じていただける筈です。おまけですが、ビートルズとの関係に関しては「ハッ‼」とすることも書いています。無料なので、とりあえず落としておいてください。高評価よろしく。



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