英語で読む『赤毛のアン』Chapter1-12
赤毛のアンの原文を少しずつ、ほぼ週一ペースで読んでいます。
英語学習にでも使ってもらえたら幸いです。
今回は12回目。
チャプター1の24段落目部分です。
マリラのセリフ部分なんですが長いので2回に分けます。
今回は!
難しかった!!!
何がって、意味調べが!
【前回までのおさらい】
孤児院から男の子を養子にするという爆弾発言を何とも無さ気に投下するマリラ。
え、ちょっと何の相談もないんだけど?!
レイチェル夫人は不満気です。
【朗読】
【本文】
【語彙】
was up here: ここに来た
asylum: 施設
off and on ever since: それから時々
getting up in years: (通常はget upで起きるですがここでは【上がる】という意味で)数年で年もいってきて
spry: 元気
as he once was: かつてそう(元気)だったように
desperate: 絶望的に
stupid, half-grown: バカで半人前な
the lobster canneries: ロブスターの缶詰工場
flat: (平ら、アパートという意味もありますがここでは)きっぱり
sleep sounder: ぐっすり眠る (soundというと【音】というイメージですが、【健全な】【十分な】という形容詞的意味もあります。ちなみにsound sleepで【熟睡】)
〇At first Matthew suggested getting a Home boy. But I said ‘no’ flat to that. ‘They may be all right—I’m not saying they’re not—but no London street Arabs for me,’ I said. ‘Give me a native born at least.:
ここが難しいところです。
At first Matthew suggested getting a Home boy.
そのまま読めば、「まずマシューはHome boyを養子にすることを提案した」となります。
Home boyって何?
home boyを辞書で調べると【地元の男友達】とあるんですが、それだと文脈に合いません。
しかもHome boyと大文字で始まっているってことは固有名詞とか、特定の意味を持っているのでしょう。
イギリスからの移民が多いプリンスエドワード島のHomeってことはイギリスってこと?
とりあえず読み進めます。
But I said ‘no’ flat to that.
「でもそれにはきっぱり嫌って言ったの」
‘They may be all right—I’m not saying they’re not
「彼らはたぶん大丈夫でしょう。ダメだとは言わないわ。」
but no London street Arabs for me,
「でもロンドンアラブの浮浪者は嫌よ」
I said. ‘Give me a native born at least.
「少なくともカナダ生まれにしてって言ったの」
。。。分かります?
Home boyがLondon street Arabs???
カナダ生まれでないことは分かりましたが、何のこっちゃとなりませんか。
ここで更に調べてみました。
ここから長いです!
●Home Children計画
’Home Children’で調べると出てきました。
1869年にアニー・マクファーソンによって創設された子供たちの移民計画。
これかも?!
元々は奴隷となっている貧しい子供たちを救うため、住む場所と食事、教育を施し、働き手のいない各植民地へ送って仕事を与えようというwin-win計画でした。
イギリスからカナダにも相当数の子供たちが引き渡されています。
ただ各地でこの働き手の需要がとても高過ぎて、浮浪者だった子供たちを教育も無しに送り、引受先では彼らの素行にかなり不満が噴出する結果に。
しかも送られた先で子供たちの多くが虐待など劣悪な環境にあったことも分かっています。
で、今のご時世、
ひょっとしたら作中のセンシティブな言葉も改訂されているのかも?
とも思いました。
●Barnado Home
Home boyでなくBarnado boyとなっている本もあるそうです!
Barnadoとは1866年にトーマス・ジョン・バーナード(Thomas John Barnardo )氏によって創設されたバーナード・ホーム(リンクはウィキペディア英語版)と呼ばれる孤児院のことを指し、現在も存在します。
こちらもほぼ上記同様、イギリスから孤児を各植民地に送る場所です。
様々な人種の子たちが居たようで、アラブ人も多く含まれていたのかもしれませんね。
トーマスさんは88回に渡る子供の誘拐で起訴され、誇大広告も問題となっていました。
トーマスさん曰く、「子供たちを救うためだ!」だそうで。
やはり子供たちは悲惨な状況下に置かれ、多くの子が虐待を受けていました。
1908年に『赤毛のアン』が出版されたので、モンゴメリーさんもこういったイギリスの孤児院の悪評はご存じだったかと推測します。
実在の施設の名前に対する配慮からか、Barnado boyとBarna'r'doの途中の'r'を抜いて微妙に名前を変えていますが、バーナード・ホームってそりゃあ分かるよね。
ということで、後の書籍では更に配慮が加えられてHome boyに変ったのかなと思いました。
マシューは「あんまりよくわかんないけどよく耳にするHome (Barnado) boyを引き取ったら良いんじゃない?」と提案し、
新聞を端から端までキッチリ読み込むであろうマリラはその悪評も知っていたため、「ダメ」とピシャリと言い捨てる。
という感じかなと。
だから事情通のレイチェル夫人が孤児の受け入れに対してあれだけ驚くのか、とここで納得です。
【こばち的要約】
「アレクサンダー・スペンサー夫人が春に孤児院から女の子を引き取るって聞いて、マシューもいい年だし、ずっと考えてたのよ。
誰か雇うにしても半人前のフランス人しかいないでしょ?
教えてもすぐに居なくなるんなら、孤児の男の子を引き取ろうって。
誰であろうとリスクになるならやっぱりカナダ人が良いわ。」
とマリラ。
【あとがき】
フランス人の立ち位置について
French boysのことが出てきた辺りでムムムと思ったんですが、今回読んだ部分はちょっとセンシティブな内容でしたね。
作中に登場する・話題になるフランス人は誰も彼もが半人前扱いです。
ここでプリンスエドワード島の歴史についてみてみました。
元々この島には先住民のミクマク族が暮らしていて、そこにヨーロッパの国々から出入りがあった後、1604年にフランス領となりました。
その後イングランドとは7年戦争(1756~1763の世界規模の大戦)に見られる植民地争いなどバチバチでした。
結果1763年、このプリンスエドワード島はイギリス領となり、フランス人たちは島から追い出されたのです。
ということで、『赤毛のアン』が書かれた当時もおそらくは、イギリス系(モンゴメリーさんの曾祖父母はスコットランド出身)の島民にとって、フランス人たちは敵の子孫というか、差別の対象というか、あまり好きじゃないというか、という心情がまだ島民に残っていたのだと思われます。
今回はなんつーか、歴史の回でしたね。。
今は差別に対して批判的であるのが当たり前となってきているので、昔の本も改訂されてたりするのも分かります。
でも改訂されているならそれも教えて欲しいなぁというのが正直なところ。
当時のそのままの言葉・表現から見える姿があるわけで。
人は間違う。
その間違いから学ぶものは多い。
目を背けたくなるような現実があっただろうけれど、それを繰り返さないためにも、ぜひ本当のところを残しておいて欲しいものです。
マリラのお話は次回へ続きます。
よろしければまたお付合いください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?