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新しい世界に。

一人になりたいと何度思っただろう。

娘が産まれて約二年、二十四時間べったり一緒だ。トイレにだってついてくるし、昼寝も添い寝じゃないと起きてしまう。いまだ夜中に何度か起きるせいで、夜も物音ひとつ立てられず、1LDKの狭い家では逃げ場もない。

やっとできたママ友たちはコロナ禍となってから、会わないうちに仕事復帰してしまった。計画的に保活をして断乳をして、いきいき働きはじめただろうみんなに劣等感を感じる毎日。おまけに児童館や支援センターの子連れイベントは軒並み中止だった。本当に、子どもと二人きり、という時間が長かった。

新しい生活様式は、娘にとって日常であり、世界の常識だ。外出時に私がマスクを忘れそうになると口元を指しながら「ましゅく! ましゅく!」と教えてくれる。ぬいぐるみのごっこ遊びのときですら、くまの口に布マスクをつけてあげる。娘にとって、人は外では当たり前にマスクをしているものなのだ。

大人がやっている、手の消毒スプレーも見様見真似でシュッシュとかけようとするし、ウエットティッシュで手を拭いてもらったら、次はお菓子が出て来ると知っている。机も椅子も、自分で拭いて満足気だ。

そして、娘は他人とほとんど触れ合ったことがない。いつも人というのは距離を保つものだと、たぶん思っている。近くに寄ってくるのはお父さんとお母さん、時々ばーばたちだけ。たくさんの人がいるところに入って行ったことはない。

そんな毎日の中で閉塞感が募った私は、保育園で非定型保育というのをやっていると聞き、求職中でも申し込みができるか聞いてみた。受付担当に、「できるけど、順番ですから。一年くらいは待ちですよ」となかば呆れたように言われる。

「そうですよね……」

仕事のめども立っているわけではないし、こんな計画性もない私は預けようなんて思っちゃいけないんだと名前も言えずに帰った

やっと名前を書きに行けたのはしばらくたってからだった。どうせまだまだ。順番待ちの間に、娘も大きくなるだろうから預けても大丈夫だろう。そのときには色々なめども立っているだろう。とりあえず申し込むだけ。そう自分に言い聞かせて、びくびくしながら申し込んだ。

そうこうするうち、コロナが少し落ち着いてきて、保育園の開放日に娘と行くようになった。まだ警戒してか、私たちのように親子で来ている人はほとんどいなかった。

保育士さんと保育園児たちを、ちょっと離れたところから見ながら、「みんなで遊んでるね」と娘に話しかける。娘はお母さんと遊べればいいとでも言うように、手をつないでおもちゃの方に私をひっぱった。娘が保育園に行くのはまだまだ先だなぁ、私の自由は遠いなぁと、子を送ってさっそうと仕事に向かう、きれいなお母さんたちをまぶしく眺めた。

三月。保育園から電話がかかる。「四月からね、空きが出るんですよ。どうします?」いつも遊びに行ったときに声をかけてくれる保育士さんだった。

「え、うそ、もう?」最初の感想がこれだった。

あんなにあんなに、一人になりたいと思っていたのに。夫に「一人で子どもをあやせるようになってくれ」とあたり散らし、やっと寝た娘の横で「こっちが泣きたいよ」と声をおさえて泣き、ノートに「週に三時間でいいから一人になりたい」と書きなぐっていたのに。

いざ、来月からですよと言われると、不安の方が大きかった。まさかこの春から子どもと離れるなんて。まだ手元に置いておきたい。色んな気持ちが沸き上がる。

「返事、少し待ってください」保育士さんにそう伝えるのが精いっぱいだった。

ママ友のような計画性がない私は、断乳もまだだし、仕事だって積みたいキャリアがあるわけじゃない。そのことにも、また落ち込んだ。保育の予約をしたときに、もっと考えておきべきだった。私は母親に向いてないのかもしれない。どうしてこうなんだろう。

でも計画性がないのは元々だったじゃん、と頭の中の楽観的な私が言う。そうやってこれまでも私は生きてきたじゃん、母親になったからって、ちゃんとした人に変われるわけないじゃん。

そうか。ママ友や、保育園に来るきれいなお母さんたちと、母親という同じ土俵に上った気がして勝手に比べていたけど、彼女たちと私は元々違う世界を生きていたんだ。私は娘の母親になったけど、私自身が変わったわけじゃないんだ。

この計画性のない私のまま、いつもみたいに流されてみよう。それでうまくいったこともあったんだし。だめならその時、やめたらいいんだから。

うん、と一人うなずいて、保育園に「春からお願いします」と電話を入れる。保育士さんは「そっかぁ、よろしくね」と明るく返してくれた。

軽いベビーカーを押しながら、もう散り切った桜の木の下を歩く。もう泣き止んだかな、今日は昼寝できるかな。

ーー娘は保育園に入り、私たちの新しい生活がはじまった。

二人切りで過ごしていた平日に、打って変わって、たくさんのお友達と保育士さんに囲まれて過ごすようになった娘。娘にとっての、この新しい生活様式、はまだまだ悲しいことも不安なことも多いみたいだ。夜泣きもするし、朝はぐずぐず着替えている。

そりゃあそうだろうと思う。私たち大人だって、去年新しい生活様式に自分を合わせるのに苦労をした。そしてこの春も、私は娘と離れることにまだ慣れずにとまどっている。新しいことをはじめるのは、しんどいことだ。

だけど、娘は三日目でもう、大泣きはせず、ぐすぐすと泣きながらもバイバイできるようになった。その姿に、ああ私も早く新しい生活になれなくちゃと気持ちが引き締まる。「みんなとお昼ごはんをたくさん食べてますよ」「お友達と手をつないで公園で遊んだんです」「お兄さんお姉さんの歌に嬉しそうにしていたよ」と保育士さんに教えてもらった。初めて、親と離れ家族以外の誰かと触れ合っている娘ーー。

軽いベビーカーを心もとなく押し、家の玄関を開ける。普段と変わらずおもちゃや絵本で散らかったままの部屋。なのに娘がいなくて、からっぽに感じる。そんな部屋で、一人電気をつけてパソコンを開く。

永遠に離れるわけじゃない。一緒に頑張るんだ。

あなたがその小さな身体で頑張るなら、私も頑張る。

初めてのこと、新しいことはドキドキするし不安にもなる。だけど。新しい生活様式の中、いや、もはや常識になったこの生活から。また少しずつ少しずつ歩いて、新しい生活をはじめようと思う。

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