「言わない」ことが難しくなったよね

 「風邪をひいた」とブログに書いたら、遠くに住む友達から「大丈夫?」とメールが来た。インターネットがなければ、こんなこともなかっただろうな。風邪くらい次に会うときまでに治っていて、話題に出すこともないはず。いらない心配をさせてしまったかな、とちょっと思った。

 自分のことを書いて誰かに知らせるようになったはじまりは、mixiだった。大学生になってすぐ、承認制のサイトがあるんだよと教えてもらったそこでは、みんな日記を書いていた。それが、インターネットとの、ほぼ最初の出会いだったと思う。それまでは何かを調べるときに、ちょっとアクセスするくらいだったから。

 別れたばかりの地元の同級生、大学で知り合ったばかりの人、みんなの近況を楽しく読んでいると、自分も何かを書きたくなる。それまで秘密の日記帳に書いていた、自分の日記を、誰かに読んでもらうという体験は、どきどきするけど、ずっと心のどこかで求めていたものだって気がした。

 もっと内面のことを書いてみたくて、親しい人と知らない人に読んでもらえるように、ブログもはじめる。秘密のようで、秘密じゃない場所。本の感想を書いたら著者に届いたし、知らない人と繋がることもできた。

 母は「日記を誰かに見せて何が楽しいの?」と言う。友達も「ブログ書き続けてすごいよね」と言う。楽しさが分からなかったり、無理して書こうとしてたり、そういう人もいるのかも。私は、書かずにはいられなかった。

そうやって十年くらい、ネットで日記のような何かをときどき書いてきたけど、最近思う。「言わない」でいることが難しくなってしまったなと。

「言う」ことは簡単になった。mixi以外のSNSも出来て、中には写真が主なインスタグラムも、140字で足りるtwitterもある。よかったことも、つらかったことも、次の瞬間にはもうネットに載せられる。

でも、自分の中でしか消化できないことって絶対にあったはずなんだ。

 言ってしまうと、満足したような気になって、そこで終わりにしちゃう。それが実はにせの満足で、消化不良。気持ちは全然片付いていないことにあとから気が付くことがある。

インターネット。好きだけど、もう書かずにはいられないけど。気を付けないとちょっとだけ、気持ちとずれてしまう。

私が物心ついた途中からネットの世界を知ったから、こんなにむずかしいんだろうか。生まれたときからネットがある世代は、どこまで書くかを、自然に分かっているんだろうか。それとも、ネットで言ったってうまく消化できちゃうんだろうか。そんなことも考えてみる。

最初の「風邪ひいた」もわざわざ言わなくてよかったかも、と少し反省。でも心配してくれたのはありがたかった。インターネットがなかったら、本当は、もらわなかった心配の気持ち。いいのか、悪いのか、分からない。

どちらにしても、もう全てを「言わない」ことは我慢できない。インターネットははじまってしまったから。

「言う」と「言わない」のたずなを自分で握れるようにならなくちゃと思う。


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