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エンゲキ・デイズ -ある劇作家の話-

誰だって若い頃は、いろいろあるものだ

週末の大阪ミナミ。
浪速の街はいつもと変らぬ賑わいをみせている。
夕陽が川面に映り、朱色の眩い煌めきをみせる道頓堀川。
そのほとりにある居酒屋で、彼との話は始まった。
彼とは前園ノリゾウ、劇作家である。

彼とは面識がないわけではなかったが、
こうして面と向かい酒を酌み交わすのは初めてのことだ。
しかも、おっさん、いや失礼、経験を重ねてきた男が二人きりで。

本当は、共通の友人が隣にいるはずだったが、
仕事の都合で遅れることになった。

――早めに来てくれへんかな?、話もつかなー?、いささか不安だ…

お互いどんな顔をしたらいいのかわからぬまま、
どちらからともなくグラスを突き出し、チンッと合わせて微笑む。


「secret7」、それは大阪で活動し、コメディを中心に、お芝居からコントまでをこなす演劇ユニットである。
2005年に結成し、早13年。
これまでに17回の公演を行い、集客数は、3日間4公演で最大500人を集客したこともあるほどの人気だ。

――実は私も大ファンで、初回公演から観ている

こうした小劇場の客層は、横のつながり、すなわち役者仲間が半分近くを占めるのが通例と言われる。役者仲間どうしで、チケットを売り買いするわけだ。
その中で、secret7の客層は、7~8割が一般客。小劇場界では稀有な存在である。
そんなsecret7の全ての脚本・演出を手がけるのが彼、前園ノリゾウである。


「気がつけば13年。今までいろんなことをやってきた中で、secret7は、一番長く続いてますね」
舞台に立つ個性あふれるメンバーたちのパフォーマンスが、オーディエンスの支持を得てきたのは間違いない。
ましてや、彼が描く魅力あふれる脚本が、人気を支える重要なファクターになっていることに、異を唱える者などいないだろう。

そんな彼は、これまでどんな人生を歩み、どうやって脚本を書くことになったのだろうか。
気になりだすと素通りできない性分の私は、あらためて彼に聴いてみることにした。

――確かに彼の所作からしても、いろいろ考えていそうな感がある

1990年代半ば、京都市北部にキャンパスを構える京都精華大学。
版画科に在籍する彼はバンドをやりたかったが、
部活の上下関係がどうも苦手。
軽音楽部には入らず、部外の仲間とバンドを組み、ギターを弾いていた。
タッパがあってドレッドヘアー。
そのイカツイ容姿で、たった1~2分のハードコアな曲中に、いかにリフを入れるか夢中になっていた。

そんなバンド活動を楽しんではいたが、
音楽に明け暮れたと言えるほどの熱中も感じていなかった。
そのせいか、4回生になると、いともあっさりバンドをやめた。

4回生といえば、就活にいそしむ時期だ。
しかし、当時は就職氷河期といわれた時代。
芸術系の学生に集まる求人は少なく、
就活を積極的にやってる学生もほとんどいなかった。
「自分が所属してた版画科で就職したのは、確か一人ぐらいでしたね。
頑張って就活するぞ!なんて雰囲気も、周りにはなかったです」

そんな周りの学生たちと同様に、彼も定職にはつかず、
特に深い考えもないままに、気づけば東京に向かっていた。

――なぜ、東京なのだろうか…!?

上京すると、荻窪に住んだ。
当時、都心に近いわりには、家賃が安いところもあり、住みやすい街とも言われていた荻窪。
利便性を考慮して住みだしたわけでもなかったが、バイトをしながら生活を始めた。

「今思えば、ほんと当時の記憶がないんですよ。なんで東京いったのかな…って。なんで荻窪に住んだのかも覚えてなくて、当時の自分に聞いてみたいぐらいですよ。」

特に志を立てることもなく、尖ってたわけでもなく、
自分探しでもなかった。
ただ、なんとなく面白い人に会ってみたい、
みたいなことは考えていた節がある。
だが、それ以上でもそれ以下でもなく、今となっては理由がはっきりしない。
そんな感じだった。

――確かに、同世代として、この気持ちがわからなくもない。私もこんな時期を過ごしたことがある

こうして、特に目的もなく東京に住み始めたが、生活はどんどん荒んでいく。
やがて、体調を崩し、志を立てる間もなく、
栄養失調で大阪に強制送還された。

【つづきます】

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