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#第2話 誰が自分を必要とするのか

今日は「双極性障害と承認欲求の問題」について考えてみたいと思う。

双極性障害患者に限らず、他者からの承認や自身の存在意義について思い悩んだ経験がある人は多いのではないだろうか?

私、Wontaもその一人である。
特に双極性障害の診断後や離職後にはひどく悩まされていた。

今回はその解決の兆しが見えるきっかけになった「考え方」を提示したいと思う。

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Wontaの小噺~レゾンデートルに悩んだ日々~


「承認って難しい問題だよね…哲学の講義受けたあたりから『レゾンデートル』とかも考えるようになってドツボだった」(Won)

「あぁ~カチカチ山ね。ぼくはげんこつ山のほうが好きだな~」(Ko)

「うん、価値の問題。自分に価値はあるのかなーとか、自分ってなんのために生きてるんだろうとか…」(Won)

「アン〇ンマンの歌?」(Ko)

「茶化さないでよ~。本当に真剣に悩んでたんだから。そうやって悩んでるときに就活が絶望的にうまくいかなくて、もう本当にジ・エンドだったよ。そしてその頃に診断もされたんだよ。ますます自分ってなんのために存在するのかわからなくなったよ」(Won)

「何のための存在ね~。じゃあちょっと真面目に考えてみよか」(Ko)

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問題の所在


まずは問題の整理から始めたいと思う。いわゆる問題の所在の特定だ。

WontaがKoataroとの会話の中で問題にしていたのは、社会の中での自身の存在意義に関する問題だ。この問題は確かに承認の問題と直結する。

就職活動の失敗が例として挙げられていたことがその証左だろう。

Wontaは就職活動という競争において敗北した。そのことを自身の価値に対する否定と捉えたのである。

しかしよく考えてほしい。ここでWontaは誰によって何を否定されたのだろうか。就職活動における評価は企業の人事によるものである。

そこで学歴、大学時代の活動内容、コミュニケーション能力、即戦力となるかなどの項目が査定にかけられたはずである。

こうした能力に対して企業が求める基準値に達しなかったと判断されたのである。

つまり人事からの非承認だ。

ではこうした能力がWontaという存在の全てなのだろうか。

Wontaは何をおいても人事からの能力に対する承認を得たかったのだろうか。

たしかに就職活動は重要である。しかし人生の一局面に過ぎないこともまた事実である。

Wontaはこうした事実を見落としているため、人事による能力の非承認=自身の存在の非承認、と考え、自身を無価値なものと捉えてしまったのである。

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過ぎ去ってからわかること~理想の扱い方~

「なるほど…社会からの否定が私という人間の否定に思えたんだよね。でもそれは拡大解釈というか、出来事の一面に過ぎなかったのかな。しかし、敗北って言葉は刺さるよね」(Won)

「なんでそもそも自分に市場価値あるとか思ってたの?数字扱えないのがバレたんだよ。Wontaが行きたかった業種ってさ、数字必須じゃん」(Ko)

「小5くらいの算数からやり直そうかな?」

「すみっコぐ〇しの計算ドリル買ってあげるね」

「わ~い!すみっコ!!…まあ苦手なものから逃げ続けたツケがまわってきたんだね。今ならわりと冷静に振り返ることもできるかも。当時は全然余裕なくて、落ち込むしかできなかったもんな」(Won)

「結局さ、通り過ぎないと大切なことってわからないんだよ」(Ko)

「(え…キャラ違う)まぁ、そうなのかもしれないね。あと、自分への期待というか理想がね、不相応だったね」(Won)

「過剰な期待は身を滅ぼすって誰かも言ってたね。期待に対して必要な能力を得るための努力をすればいいんじゃないかってぼくは思うけどね」(Ko)

「なるほどね。そんな風にも考えられるんだね」(Won)

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承認の「罠」


承認を巡る議論は2匹の会話ほど単純なものではない。
承認には「性的承認」「社会的承認」「人格的承認」などの類型(池田 208)が存在する。

Wonataが求めた、就職活動で得ようとした承認はおそらく「社会的承認」であるが、これを得たからといって全てが満たされるわけではない。
ここでよく考えてほしいのは、本当に求めている承認は「誰から」の「どのような」承認なのかである。

自身の外見的価値や市場価値に基づく承認は、常に成果と競争にさらされているため、容易に「承認戦争」に巻き込まれることになる。
こうした事態に進んで参入することは、自身の存在価値を疑う存在論的不安(Giddens 1991=2005)と直結してしまう。

まとめ

自身の存在価値や他者からの承認に悩む場合には、意図せずに承認戦争やアイデンティティ・ゲームに巻き込まれていないのかを一歩引いて考えてみてほしい。

顔も知らぬ他者からの承認を得るために疲弊するよりも、身近な存在する重要な他者からの承認を得ることのほうがよほど実現可能性が高く、病状の安定にも有益なはずだ。
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「そ、そんなゲームに参加していたのかぁ…」(Won)

「ザッツ、クソゲー☆」(Ko)

【参考文献】
Giddens, A. 1991. Modernity and Self-Identity: Self and Society in the Late Modern Age:Politty Press((秋吉美都他訳, 2005, 『モダニティと自己アイデンティティーー後期近代における自己と社会』, ハーベスト社.)

池田緑, 2008, 「承認の政治における男性権力ーーモノガミーと性愛の植民地主義への基礎的考察」『社会情報学研究(17): 43-61.』

                                                          Next Wonta's hint...    「軽躁を和らげるコーピング」

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