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仔猫社のこと、0だから始めたことだけど来年は1ぐらいにしたい、でも1って数字は嫌いだから2ぐらいかな編

 仔猫社って実際問題なんなの?何やってんの?ということを書いていないので、ちょっとだけ触れて2019年を締めようかと思う。
 まず名前の由来だけれど、仔猫については初っ端の方の記事で書いたと思うので端折るとして、社だが、会社ではない。僕ひとり(ヘルプで家族を雇う)で行動し、現時点黒字になるような活動はしていない。会社ではない社は、なんというか神社というか「やしろ」的な意味で捉えて頂けるとありがたい。仔猫を祀る社である。なのでもし仮に代表を置くとするならば名義上しばや まさるにはなるが、実際は猫が居るべきなのです。ハイ、宗教じゃなくて、終了。とりあえず堅苦しく縛られたくないね、ってお話です。

 しばや まさる個人としては元々詩を書いて詩集をただ売っていた。同時に出店或いは覗きにいった即売会で本を買っていた(ここも端折る)。仔猫社として委託本を始めたのは、滅茶苦茶お勧めの本を手に入れると誰かに物凄く話したくなるし、話し出すと止まらなくなる。けれど言語能力の問題とTwitter含むSNSで感想を述べるのが苦手な性格が相まって結果いつも身近な人間が被害にあう。正直家族の中で、「おすし」といえばひざのうらはやおさんだとか僕が気になるTwitterの話題を挙げれば、ん?〇〇さん?ぐらいに家族には浸透してしまっている。ごめんやで…。それぐらいに僕は「好きなもの、人を好きという。」言ってて恥ずかしくないの?とよく言われるレベルで。
 けれどこの流れも所謂作品と人間性の融合であって、空想上の統合というか、最終的に我が家の中で各々の作者が僕というフィルターを介してかかりにかかったバイアスによりマスコット化してしまっていることを感じていた。そこでふと「純粋な読者」ってなんじゃ?と考えた。
 

 即売会の経験は浅くともブースを覗けば、出店者同士の名刺交換的な売買が始まっている。フォローフォロワーの関係になり、Twitterに戦利品としてアップされる。それはとてもスムーズな推移だがそれだけじゃない?というか真摯な感想ってあるのか?とか。
 感想は買った側のメリットが大きいことだって多い世界で、知名度の高い出店社から購入して褒めちぎってフォローされたら宣伝効率に関してはかなりのものだろう。本当に欲しくて購入したのかそうでないのかなんてわかりゃしない。だけど、それはそれなんです。競争の場だし、繋がりの場だし、目的はしっかり理解しているので、僕も普通に出店します。ただ友人は僕に言いました。
「何を踏み台にしてでも俺はのし上がる、お前は踏むとこあらへんけどな。」
 あちゃー、僕には踏むとこないんやなー。ならば、と。僕が0の状態であるならば…。

 地元にイベントがある。日曜購買部という名でフリマスタイル。聞くところによると本の出店はかつて1件あったぐらい。知っている限りほぼ文学も栄えていない田舎で、0の僕が0に近い場所でただポツリと小説や詩を売り始めたらどうなるだろう?と。もしもそこでファンが出来たならば、それはとんでもなく強いのではないか?と。
 ざっくりというかどんどん端折るけれど「純粋な読者」とは?を探し「強いファン」を作ってみたい。これが始めた動機で、僕がほぼ0だから出来たことでもあるだろう。
 委託というのは売れないと聞くし、実際売れない。そりゃあ「売り手に力がないと売れない」でしょ。とは今更ながら思う。作品が面白い、作者に知名度があるとかなら委託先ではなく如何なる理由があろうが本人から購入する方がいいし、委託先を覗くメリットはほぼない。わざわざナンダコイツ…って売り手からは少なくとも買わない。故に売り手自身の本の魅力や宣伝スキル、話術などのどれかが突出していなければとは思っている。自分の詩集すらろくに売れない知名度皆無の僕が委託本なんていうのは暴挙に等しい。が、僕の詩集は売れないのに委託本が売れる瞬間があるのは何故か。恐らくそれがそもそも本の持つ魔術のような力なんだと思う。見る目だけはあるって自負してるので。
 でもまあ、こう書くとかなり私利的な欲求があるな、って反省もするし、どんどん申し訳なくなってくるので…。売ることについても考えていかないと、とは最近思ってきてます。

 もうひとつの活動として、一貫性なく好きな方に頼み込んでコラボする形で作るフリーペーパーがある。決めていることは少しだけあって、一対一でやること。複数人ではやらない。数人でやった時点で例えば3人なら33%ずつのフリペになる気がするし、人間ってどうしても譲り合ってしまったり上下関係、派閥を見るので最悪45%45%10%みたいなのだってうまれると思う。僕にまとめ役としての力量があればそうはなりにくいだろうけれど、端的に面倒ごとは嫌なので、ならば一対一で50%ずつ(それでもこちらがもたついたり、こちらに色々気遣ってくださったりで60%40%になることはあれど)出来るだけパワーバランスは崩さず、話し合いが終わらないならば完成させないぐらいの、クッソ面倒なフリペを作ろうと決めている。
 労力を考えるならば相手にマネーを払うべきだし、完成品は有料にすべきぐらいだが、そうしないのはもうひとつの決め事である自由度の問題からで、これも正直僕の力量のはなし。様々なことに無知で何をどこまでしていいかも分からないしどこで著作権なるものが発生したりするかも知らない。 ならばまずは自由に制約なくやろうってことで、無料配布の形をとっている。基本印刷などもこちらが負って、みなさん少しは払いますと仰ってくれるが、逆だよ…。こっちがオファーしてるんだからこれぐらいはさせて…が本音なので、何部でも擦るし、できる範囲の無理は受け入れるし、頑張って配る。そうまでしたいのは、それ程までにコラボしたい人、それ程までに面白い作品を書いている人にしか頼まないから当然だし、面倒くさがりの僕がそれでも持つ、ものづくりへの矜持だと思う。

 んー。これぐらいかなー。こんぐらいでいいかな…。次回は文学フリマ京都に持っていく作品と作者を列挙してみようと思う。今までそれすらしていなかったけど、年も変わるし0の売り方から2の売り方ぐらいはしてみようかとは思っている。

 とりあえず、寝る!締まらないし纏まりない文章だけれど、さようなら2019年。おいでませ2020年。

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