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複雑化する中東情勢と現代ヨルダンの課題|気になる中東

ヨルダンは西の国境でイスラエルと接しており、フセイン前国王の時代には、パレスチナ問題への対応が中心だった。ヨルダンに流入したパレスチナ難民とその子孫は、200万人超に及ぶと言われている。

93年のオスロ合意およびパレスチナ暫定自治協定では、パレスチナ問題がその解決に一歩進んだかに見えた。同年9月13日、米国ホワイトハウスでクリントン大統領の仲介のもと、イスラエルのラビン首相とPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長とが握手を交わした歴史的な調印式は日本でも深夜に生中継され、私もリアルタイムで見た。ラビン首相の「流血と涙はもうたくさんだ!」"Enough of blood and tears. Enough!" との叫びが心に突き刺さったことを今も憶えている。

しかしながらその後、95年にラビン首相がユダヤ人青年により暗殺。また「不死身」と言われたPLOアラファト議長も2004年に亡くなった。

和平交渉期間中もイスラエルによる西岸地域へのユダヤ人入植活動は継続され、事実上の領土化が進行。2000年にはイスラエルのタカ派首相シャロンが、イスラム教の聖地・岩のドームを訪問するという挑発行為により、インティファーダ(パレスチナ人の蜂起運動)が先鋭化。アラファト後のパレスチナ自治政府も、過激派のハマスが多数議席を獲得するなど、双方の緊張がエスカレート。2006年にイスラエルがガザ地区を攻撃したことで、和平プロセスは完全に崩壊した。そう簡単にいく訳ないとは思っていたものの、ここまで無残な結果に終わるとは「空しい」という言葉以外にない。

99年の現アブドゥッラー国王即位後は、イラク戦争(2003年)やシリア内戦(2011~)により、それぞれ50万人規模および130万人規模とも言われる難民がまたもやヨルダンに流入。これにより2000年には約500万人であったヨルダンの人口は、20年足らずの間に2倍の約1,000万人に膨れあがり、社会インフラや公共サービスが人口増加に追い付かない危機的状況となっている。国連機関との全面的な協力体制により、何とか凌いでいるようだが、国内の不安定要素も増加していると言わざるを得ない。

加えて2016年以降に、恐らく国王の新たな頭痛の種となったのが、米国トランプ政権の登場だ。米国大使館のエルサレム移設など、これまで多くの先人が命懸けで積み上げてきた和平努力を台無しにする数々の暴挙を見るにつけ、私自身も、これが合衆国大統領のすることかと暗たんたる気持ちになる。

実効的な和平プロセスには国際的な連携による圧力が有効だが、米国がこの調子ではそれも難しい。小国ヨルダンを取り巻く環境はより厳しさを増している。

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