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ゆたかな心と生活

人が生きて行くためにお金は必要ですよね。

あればあるだけ嬉しい。働かなくてもらえるお金があれば、そりゃもうありがたくもらいます!

豊かに暮らすためにお金は必須。でも、お金だけじゃ足りない。

もうひとつは、愛。

愛といっても、人によって対象はさまざまだと思う。恋人、家族、友達。
その人にとって大切な人のこと。

愛とお金、この大きなふたつが揃ってれば、最初の、最低限のゆたかさは感じられると思う。

愛orお金

よく愛とお金どっちが大事?という問いかけを耳にする。

そこで、愚問かもしれないけれど「愛かお金」という、よく聞く疑問を自分なりに考えてみた。
考えると言ったけれど、私の答えは前から決まってる。

愛の方が断然必要。まず愛を一目散にとる。愛がほしい。


お金が一番(仮定)

愛と言い切ったけれど、お金だけあると仮定してみる。

お金で手に入れれるものはたくさんある。好きなものを買い、好きなことをし、何不自由ない生活ができる。お金があることで、普通の生活ではあり得ない人脈も作れるかもしれない。
でも、お金がなくなったとき、その人達はずっといてくれるかな?
お金目当てだったら、お金がなくなった時点でいなくなるよね。
たまたまお金で繋がったけど、お金がなくなっても離れない人がいてくれるのであれば、それは愛(気持ち)が生まれてるから。

愛がほしくてお金を誰かに貢いだとする。愛は手に入るのか?というと、どんなにお金を渡したとしても、気持ちが手に入るとは限らない。
お金でなびいてるのであれば、それはお金に寄ってきただけ。愛してくれているのかと言えば、そうじゃない。
現に、お金がたくさんあっても、別れる金持ちはいっぱいいるし、お金で解決はできても、お金で愛を貫くことはできてない。

気持ちって、相手はもちろん、自分でもコントロールできないものだと思うから。お金で動く気持ちは、お金に動いただけで、人に対しての、「愛」に変わるわけではない。

そう考えると、生活に不自由はなくても、ひとりぼっちでご飯を食べたり、本音を言える相手がいなかったら。。
幸せとは感じることが、私にはできないと言い切れる。だから、お金でゆたかな心は手に入れられない。

愛が一番(仮定)

逆に、愛があれば。

快適な暮らしはできなくても、誰かと助け合い、笑い合い、めげそうな日々だとしても「一人じゃないから」となんとか頑張れる。

お金がないと心は荒むし人に対しても優しくなれなかったりするから、愛だけではなんともならない事柄はいっぱいあるとも思う。

でも、お金を欲して一人で寂しく生活するよりは、少し窮屈でも支え合ってみんなで貧乏を分かち合いながら、想いやれる生活の方がうんと幸せで豊かだと思う。

人と人との繋がりに愛があれば、本当に困ったら助けてくれる。そーいう関係を愛だと呼んでるんだと思う。

愛があると、気持ちに柔らかさ、優しさ、豊かさが生まれる。

自分が得するとか、損するとかじゃない。相手を助けたいと思う気持ち。
この気持ちがあれば、お金ではない、気持ちを支えるための言葉や想いやり、愛情。そーいう目に見えないものが、人を癒してくれることってたくさんある。
もちろん、助けたい気持ちがお金という、目に見えるものに変わることもある。

ベタかもしれないけれど…愛からは、無限の可能性が広がっていくと思う。


人生の最後

残りの人生が短くなって、何不自由することのないとても素敵な老人ホームに入ったとする。

その老人ホームで、人生の終わりを迎える。

その時、誰にも看取ってもらえず、独り寂しく生涯を終えたなら。
豊かな暮らしは手に入っていたけれど、豊かな心であの世に行くことはできないだろう。ゆたかとは真逆の、孤独という言葉が思い浮かんだ。

その老人ホームでもしも、大好きな友人ができ、死を悲しんでくれる相手がいたとしたらどうだろう。とても心地よい暮らしと生涯になるんじゃないかと思う。

ふたつの家族

お金持ちだけど仲悪い家族よりは、貧乏だけど笑顔が絶えない仲良い家族の方が、魅力的で素敵。やっぱり愛がいい。

それだけの話です。


結論

ゆたかさって、愛だと思うんです。愛がなければ、ゆたかな気持ちにはなれないんじゃないかな。


もちろんどっちも必要だけど、どっちが優先して必要かと考えたとき

私は迷わず「愛」と答える。


#ゆたかさって何だろう

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