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「LGBTは生産性が低い」発言を批判することって?

朝、ニュースである国会議員が「LGBTは生産性が低い」と発言し、大炎上しているというニュースをみた。

このニュースをみたとき、私は違和感を感じた。なぜなら、LGBTも、そうじゃない人も自由に生きられる世の中が一番幸せだと思うから。

なんで、国会議員は自分の意見を自由に言ったらダメなの?

素直な疑問だった。

このことに関しては、ネットで色んな人の意見を読んだ。わたしの疑問に答えてくれていたのは、スマイリーキクチさんのツイートだった。

あんな発言をすれば批判されることぐらい予見できた。注目を集めるために意図的に過激な発言をする。いたずらに人の感情を煽っておいて、次は殺害予告をされた悲劇のヒロインに変貌する。本気で脅迫に苦しんでいる人がミソクソ一緒にされてしまう。この人の遊びで犯罪者が生産されて警察官が疲弊する。


たしかに、言われてみればそうかもしれない。国会議員のような影響力がある人の発言は凡人のわたしとは訳が違うのかもしれない。そう思った。

しかし、まだモヤモヤが残った。
それは、多分

批判されることが予見できたら、発言を控えるべきなのか?

という新たな疑問が生まれたからだ。

私はそうとは思わない。
これに関しては色々な意見があると思う。でもわたしは、批判を恐れていたらなにも言えなくなるから別によくない?と思う。

もちろん、意図的に悪意をもって言われた言葉にはトゲがあり、誰かを深く傷つけることがある。だから誹謗や中傷目的の発言はダメだと思う。

でも、今回の発言は、LGBTの人を傷つける目的ではないと思う。ただ自分の意見を言っているようにみえたのはわたしだけ?

国会議員だから、LGBTじゃないから、LGBTだから、女優だから、社長と付き合っているから、という理由で、自分の考えていることや感情を自由に表現することができないのはかわいそうだ。それこそ権利の侵害だ。

どこにいても何を言っても批判はついてくるし、批判を恐れずに自分の考えをいえば、同調する人が出てくる。批判されたら擁護する人が出てくる。当たり前のことだと思う。

今回の発言に、これほどまでに風波を立てる必要はあったのか。

特定の誰かの権利を無視するな!国がなんとかしろ!という前に、誰もがひとりの人間として認めあえる社会になればみんな幸せなのになぁ。

#LGBT #lgbt