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「性」は心にあり。性に対する考えが変わった話。

私は25歳。ここはバンコク。

トゥクトゥクの走行音、物乞い、ストリートチルドレン、その脇を通り過ぎる娼婦を連れた中年日本人男性。ファラン。ナイトマーケット。渋滞。偽物ブランドを売る女性。香辛料の香り。怪しいお姉さんがこちらを見つめている。

そんな光景も1年も経てば見慣れてしまう。至極当たり前の景色。そんな景色を見ながら、ふと自分の頭で問いかけた。

性とは何だろうか。

「価値観を変える」といって旅に出て一度異文化によって衝撃を受けるだけで、変わるものではない。気づけば変わっているものだ。

一緒に働いている男性はほとんどがゲイの人で、住んでいるコンドミニアムの受付スタッフはレディーボーイ。またデスクの斜め前に座っている女の子はレズビアン。毎日家に帰る時にお姉さんに腕を捕まれ誘われるのもレディーボーイ。

性別がたくさんあってそれがもう当たり前になってしまった。純粋な男性に出会うことの方が少ない。

それに、誰がゲイかレズかレディーボーイかどうかなんて自分を含め誰も全く興味がない。

「その人が幸せならいいじゃんスタイル」

自分は日本という単一民族国家に生まれ、”みんなと違う”ことが許されにくい風潮の中で生きてきた。

だからこそ、日本でLGBT関連で炎上しているニュースと、タイ現地の空気感のコントラストが何とも言えない興味深さを醸し出す。

タイではなぜ多様な性別があるのか?と疑問に思う一方で日本の息苦しさ。

でもこっちにいると、心は女の子なんだね、男の子なんだね、男の子が好きんだね、女の子が好きなんだね、といった繊細な部分を理解できるようになる。今は相手がゲイかどうかだいたいわかる。

アレがついていようが、ついていまいが関係ない。
性別は心にある。

便宜上の問題で、トイレが2つに別れているだけで、だからといって性別が2つという認識が間違っている。今は本気でそう思う。

なんとなく華金でやることがないから性について考えていたら整理したくなったので書いてみた。日本のLGBTへの意識も徐々に変わるといいな。

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