アドラー心理学「過補償」とベースライン

しばらく前に「過補償」という心理について、ふと思い浮かんだことがありました。こちらの心理コンサルタントさんが、分かりやすくまとめてらっしゃいます。

アドラー心理学に『過補償』という考え方があります。
人は、自らの劣等感を良い意味でも悪い意味でも何らかの形で克服しようとします。~中には、これを過度な形で補償しようとする場合があります。このことを『過補償』と言います。
これは大抵、悪い意味で使われることが多いのですが、アドラー自身は、決して悪い意味ばかりで使っているわけではありません。彼は、自分が人よりも劣っていると思うことを過剰に補償することによって、それ以上の成果を手に入れることがあることも述べています。
たとえば、視力の弱い人や耳の不自由な方の中には、画家や作家や音楽家などの芸術家になる方がいます。あるいは、幼いころ人見知りで引っ込み思案だった人が俳優になったり、うまく言葉を話せなかった人が落語家になったりします。
また、最近では、ほとんどなくなったと思うのですが、私の小さいころには、左利きの子どもを無理に右利きに矯正することが結構ありました。当然、右利きに矯正された子どもは、不器用で字もうまく書くことができません。そんな子どもの中には、努力を重ね書道家になる人もいます。
このような過補償の効果に関しては、脳の機能の面からも説明できます。脳科学者の茂木健一郎氏によれば、人がうれしいときに分泌される脳の報酬系の神経伝達物質であるドーパミンは、苦手なことを克服するときのほうがより多く分泌されるというのです。
自分が得意なことをするのは、それほど難しいことではありません。それゆえ、そのことがうまくできたとしても、ドーパミンはそれほど分泌されないらしいのです。
ところが、自分が苦手なことに関しては、もともとうまくすることができないために、たとえ少しでもうまくすることができれば、多くのドーパミンが分泌されると言うのです。
そして、そのために、さらにそのことにチャレンジしてうまく行けば、さらに多くのドーパミンが分泌されるらしいのです。こうして、どんどん苦手なことを克服していけば、思いもよらない成果を手に入れることができると言う訳です。

ほぼ丸々引用しちゃいましたが、私も「過補償」ちょっと思い当たる節があるんですよね。

私は、低音のベースの効いた音楽が好きなんですね。ファンクとかレゲエとかハウスとか。

実は、私は右耳の低音の聴力が低いんです。昔学校(小学校だったはず)で検査した時に、検査担当の人にサラッと言われて、軽くショックだったんですが笑

だから、スピーカーから流れてくる音楽の低音、ほとんどを左耳でキャッチしてるんだと思います。

聴こえにくいから一生懸命聴く。その結果、ベースラインに引き込まれるようになった、のかなとちょっと思っています。

あるいはベースの聴取能力が低いから、低音強調した音楽が補正として丁度いいのかもしれません。

皆さんも、「過補償」に思い当たるようなことはないでしょうか??


todakohsukeさん綺麗な写真ありがとうございます。

頂けるなら音楽ストリーミングサービスの費用に充てたいと思います。