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旧約聖書考 コヘレトの言葉

一度きっちり読まないといけないな、と思い続けてきた聖書。この10年ほど時々開いて読んでいる。

イエス・キリストの登場から死、復活を述べた4つの福音書とそれ以降のパウロの手紙など新約聖書は比較的分かりやすい。他方、旧約聖書はかなりの難敵。

それでも、一読してスッと入ってきた一編がある。それが「コヘレトの言葉」。「伝道の書」というタイトルで収められている聖書もある。

冒頭から、聖書のメインラインから大きく逸脱している。

「01:02 コヘレトは言う。なんという空しさ
なんという空しさ、すべては空しい。
01:03 太陽の下、人は労苦するが すべての労苦も何になろう。
01:04 一代過ぎればまた一代が起こり 永遠に耐えるのは大地。
01:05 日は昇り、日は沈み あえぎ戻り、また昇る。
01:06 風は南に向かい北へ巡り、めぐり巡って吹き
風はただ巡りつつ、吹き続ける。
01:07 川はみな海に注ぐが海は満ちることなく
どの川も、繰り返しその道程を流れる。
01:08 何もかも、もの憂い。語り尽くすこともできず
目は見飽きることなく 耳は聞いても満たされない。
01:09 かつてあったことは、これからもあり
かつて起こったことは、これからも起こる。
太陽の下、新しいものは何ひとつない。

01:10 見よ、これこそ新しい、と言ってみても
それもまた、永遠の昔からあり この時代の前にもあった。
01:11 昔のことに心を留めるものはない。これから先にあることも
その後の世にはだれも心に留めはしまい。」

いきなりニヒリズム、これでもかと無常感を打ち出してくるコヘレト。これって鴨長明の「方丈記」かな?とさえ思わせる。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。 世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」(方丈記冒頭)

語ってるのは、全く同じこと。

「02:23 一生、人の務めは痛みと悩み。夜も心は休まらない。これまた、実に空しいことだ。」(コヘレト)

仏教でも、人生ってのは苦しみの連続なんだと言っている。そしてあえて言えば、大きな四つの苦がある。生きる苦しみ、老いる苦しみ、病気の苦しみ、死ぬ苦しみと。コヘレトの言葉とおんなじ。

「08:14 この地上には空しいことが起こる。善人でありながら
悪人の業の報いを受ける者があり
悪人でありながら善人の業の報いを受ける者がある。
これまた空しいと、わたしは言う。」

正しいものが栄え悪いやつが滅ぶ、なんていう勧善懲悪の物語は、しょせんフィクション。嘘っぱちなんだとコヘレトは結論した。悪いやつが栄えることさえ世の中にはあるんだと。

「08:15 それゆえ、わたしは快楽をたたえる。太陽の下、人間にとって
飲み食いし、楽しむ以上の幸福はない。
それは、太陽の下、神が彼に与える人生の日々の労苦に添えられたものなのだ。」

そして、だからこそ!今を楽しもうぜ。一日クソみたいな仕事した後、美味い物をつまみに晩酌して寝ちまうのが幸せってものなんだぜ、と。いきなり俗になる(笑)

キリスト教のメシア思想とは、縁もゆかりもない一編。でもなんか、古代ヘブライズムと東洋哲学の類似が際立っているので、人間って、民族、言語、時代が違う者同士でも、共通の地盤が案外あるんじゃないかって思えた。

この一編がきっかけになって、自分でも聖書結構分かるかもって変な自信に繋がった。それ以来、新約聖書もより深く読み進めることができたと思う。

コヘレトの言葉は、分量もそう多くないので、一度サラッと読んでみると面白いです。おすすめです。

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