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スタサプ「[秋季]難関国公立大 現代文」における柳生先生の解説に対する疑問

出典は、北大2019年前期国語第1問。
問題文の出典は檜垣立哉『食べることの哲学』。

先に出題者・北大へ疑問を言っておきたい。

出題部分は出典書籍の「序」の部分であるが、これは問題に適していないのではないかと思われる。いわば映画でいうところの予告編を見て内容を読み取れと言っているようなものである。意味段落ごとの関係が不明瞭で、読解に適した文章とは言えない。出典の筆者は、ここですべてを説明しようと考えていないだろうから、責任はない。原典をあたればわかるが(ここで読める)、筆者は章ごとのダイジェストを述べようとしており、意味段落の最後に「詳しくは◯章で述べる」と書いている。それなのに、北大の問題のとくに最後の問題は、「本文全体の趣旨を踏まえて」答えよという無理難題を要求している。これはすなわち、出典書籍の内容すべてを要約せよと言っているに等しい。「序」の部分だけで、書籍すべての論理関係や要旨を把握することは無理である。実際の文章を読んでも、文章前半の内容と後半の内容の関係は必ずしも明らかではなく、推測して答えるしかない。極めておかしな問題である。

そのうえで、スタサプの解説について述べていくことにしたい。

ちなみに予備校の解答はここに引用されている。↓

第1問

「この矛盾」を答える問題。これは簡単である。近代社会では、一方で不殺生を原則とし、他方で生き物を殺して食べていることを述べればいいだろう。

第2問

「文化相対主義が幅をきかせる」を説明する問題。柳生先生の答えを引用する。

どこまでなら「たべてよい」のか、または「食べてはいけない」のかという問いの答えは、各々の文化によって異なるということ。

疑問は2点ある。
①「文化相対主義」を「各々の文化によって異なる」と考えている点。
②「幅をきかせる」の部分が見当たらない点。

①について

まず、「文化相対主義」の意味だが、辞書的には簡単に言えば、文化は様々あり、優劣はないという考え、つまり「文化はみんな違ってみんないい」みたいな考え方のことである。

ただ、たしかに本文では、具体例で、みんなちがって「みんないい」の「みんないい」の部分はなかったため、どう答えればよいか悩みどころではある。

しかし、そんな悩みなど一切見せずに、「文化によって異なる」しか説明しなかったのは疑問である。文化相対主義の一般的な意味とは違う意味を答えているのだから。筆者は、実は、文化相対主義の一般的な意味で用いていたのだが、具体例では、「文化間で価値の優劣はない」の部分を書かなかったということは十分にありえる。

他方で、「文化によって異なる」の部分だけを指して「文化相対主義」を使った可能性もなくはない。つまり辞書的な意味とは異なる意味で使ったという可能性。ただし、筆者は哲学の専門家であり、可能性は低い。

真相は出典の筆者にしかわからないのだが、国語解答としては、まず辞書的な語義を答えとするべきではないだろうか。その意味で、柳生先生の解答は不十分といえる。ただし、今まで述べてきたように、本文の趣旨が不明瞭な部分もあり、致命的とまではいえない。少なくとも、解説ではひとこと触れないといけないだろう。

各予備校の答えでは、「文化ごとの固有性を尊重すべきという立場」、「文化的な差異との関連に基づく声高な主張」という形で、「文化ごとに異なる」プラスアルファを表現しようとしている。

②について

柳生先生の答えでは、「各々の文化によって異なるということ」となっているが、これが「(文化相対主義が)幅をきかせる」の言い換えになっているのだろうか。無論なっていない。「幅をきかせる」の部分がない。

本文は、「どこまで食べていいのか、いけないのか」の議論の中で、文化相対主義が幅をきかせると言っているのである。つまり、「どこまで食べていいのか、いけないのか」という問いに対して、「それは文化によって違う(し、それでいい)んだよ」という答えがたくさん返ってくるということを言っているのである。

だから、「文化ごとの固有性を尊重すべきという立場が重用される」とか、「規範が異なるからだと説明されてしまう」とか、「文化的な差異との関連に基づく声高な主張が蔓延する」というように「幅をきかせる」に相当する部分が必要だと思われる。

第3問

「こういう場面」を説明する問題。柳生先生の答えでは、「伝統的な食物を食べている文化と、それを批判する文化との間で」となっているが、本文では、このような限定はない。「伝統的とはいえない食物を食べる文化とそれを批判する文化」との間においても、対立は生じうるし、筆者は、その場合を除外していない。

「イルカ」は具体例だから使えない。なぜなら、たとえば「くじら」はどうなんだとなるからと柳生先生は言う。それなら、「伝統的な食物」についても、「伝統的とは言えない食物」はどうなんだとなるとは考えないのだろうか。

さしあたり各予備校も、すべて「生き物」で一致しており、「伝統的な」と限定していないことを指摘しておこう。

第4問

最後の問題。最初に述べたように、問題文から一義的な答えが導けるかについては疑問がないではない。複数の答えがありうる。しかし、出題者の意図はおよそ一致した見解が得られるのではないかと思う。

つまり、「本文全体の趣旨を踏まえ」とあるので、おそらく前半の話とからめて答えることを出題者は意図しているのだろうと推測することはできるはずである。

前半では、「生き物を殺してはいけないと言いつつ、生き物を殺す」矛盾について述べられていた。つまり、自然(動物としての人間)と文化(文化としての人間)の対立の話である。動物として生きていくのに生き物を殺す必要がある。一方で、生き物を殺すのは倫理的によくないという文化もある。ここに矛盾が生じる。

そして、傍線部では、「自然と文化の接合点」と書かれており、それは料理(発酵・腐らせること)に見い出せるという。

この両者の関係は、問題文だけからは明らかではない。筆者もここで明らかにしようとは考えていないだろうということを上で述べた。だから、推測が入るのではあるが、次のようにまとめることができるだろう。自然と文化の対立の中に生きる人間が料理をするのだが、その料理(発酵)は食材を自然の中に放置することで旨みを引き出すという意味で自然と文化の調和を象徴するものだから。

各予備校も、同じような内容である。

一方、柳生先生の解答は神話の話に注目している。たしかに、問題の不備を前提とすれば、(一般論としては)全くありえないものではないが、問題が「本文全体の趣旨を踏まえ」となっている以上、試験という観点からすれば「直前だけ」を説明する解答は、本文「全体」を踏まえたとは言えないため、出題趣旨に沿っているとはいえず、不適当と言わざるを得ないだろう。

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