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「就活塾」で病む。…人を傷つける指導への違和感。

私の就職活動…商社とメーカーを中心に受ける


2011年の就職活動では東日本大震災があって、突然、説明会はキャンセルになったり、就職活動自体が後ろ倒しになったりしました。

「少子高齢化で、内需が縮小していくだろう日本経済のため、外需を獲得することが必要なはずだ」

そういう想いから、僕は総合商社とかメーカーを中心に就職活動をしてきました。

思えばあの頃、「不毛地帯」や「官僚たちの夏」とか、戦後の復興に懸けてきた人達の創作に、すごく入れ込んでいました。年収とかに惹かれてたのも事実だし、ヒーローに憧れていただけの、無邪気な大学生だったのかもしれません。

しかし、悲しいかな、第一志望群だった商社はどうしても縁がありませんでした。ただ、第二志望群であった、自動車メーカーのマツダに内定しました。

余談ですが、マツダという会社は、原爆で家族を失った技術者たちが、広島の復興を懸けて自動車を開発してきた歴史があります。

最終的に進んだ会社は、意図せずして、すごく好きな会社になりました。
そんなマツダの経営企画本部で働けたことは、自分にとって本当に誇りです。

元マツダのOBで活躍されている方も一定数いるかと思うので、私もその一人として続くことができたらと思っています。

「就活塾」で病む。…人を傷つける指導への違和感。

さて、タイトルの項目の話をここでしようと思います。
僕は就職活動のとき、予備校に通う感覚で、とある就活塾に通いました。

正直に言うと、その就活塾は当時学生に対して怒鳴ったり、威圧的に接して「気づかせる」みたいなことを建て前に、さんざんダメ出しをするタイプの塾でした。

一人っ子だから…、留学経験がないから…、モテないから…、いろんなことをダメ出しされて、「だからお前は受からない」みたいなことを言われ、それが呪いの言葉のようにずっと頭に残りました。

病んでいる間は本当に、一次面接すら通らなかった。そして、通らなかった理由を探りに、就活塾に通う…またダメ出しをされる…そんな悪循環に陥っていました。

しかし、「本当にあの人たちの言うことを聞く必要があるだろうか?」

そう思って、私は就活塾に通うのをやめました。

そして若干ヤケクソになりながら、

「普段の飲み会のときみたいに自分が楽しく話せる話をしよう」

と思い、面接では本当に好きな話をしました。

・母子家庭という環境や部活での挫折から非行に走りかけていたこと。
・ヤンキー化してた自分が立ち直ったきっかけ。
・気合いと根性の世界に生きていたから、椅子に足を縛り付けて勉強したりしたマジキチな話。
・偏差値30台から、早稲田大学に合格したこと
・今は真面目に経済学を勉強しているということ。

そもそも、「自暴自棄になってヤンキー化してた話なんてしないほうがいい」と就活塾では言われたけど、やっぱり、自分のルーツを語るうえでは、絶対これは外せないエピソードでした。

ありがたいことに、この話を気に入ってくれた人は一定数いて、ここからどんどん選考が進みました。

もっとも、ちゃんと学業面で大学に入学してから努力したことはかなりPRしたので、現在とのギャップというか、キャラクター面が好かれた面も結構あるかもしれません。

就活塾で病んでしまった「呪い」から自由になることで、結果として5社から内定を得ました。

これは、本当に自分にとっていろんな気づきがある経験でした。
人に何を言われようと、自分で考えて、納得がいく答えを見つけることが必要なのだと、考えさせられました。

「この話は就活では評価されない」
「この話をするとウケがいい」

と、マニュアル化された就活本にはたしかに書いてあるかもしれません。そして、それをもとにする就職指導はときに、「これができてないのはダメだ」と言うかもしれません。

しかし、そんな型にハマった紋切り型に、人を傷つけてまでする指導は果たして必要だったのでしょうか。指導のなかで、泣いて出て行った子もたくさんいました。

そんなことより、

ウケを狙うより、あなたが話して楽しいと思える話を。あなたらしいと思える話をすればいい。

そして、あなたらしい話をして、それを「いいな」と思ってくれた人との出会いは、あなたを輝かせてくれるはず…だと思います。

あなたらしく居られる話をして、「いいな」と思ってくれる人がいたら、その出会いを大切に。通じなかったら、縁がなかったと思ってまた新たな出会いを探しましょう。

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