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社会を知りたい⑤つながりを信じきれない人。漠然と不安を抱える人。愛着。

今回読んだ本は、教育や福祉を考えるときに通る「愛着」について書いた本。なにか漠然とした不安を持っている人や、人と話しているときに怖さを感じたり、自分の軸を持てないことなんかも、愛着が関わっているかもしれない。記事としては、愛着ってこういうもの、という紹介内容です。

エビデンスは少なめなんだけど、読んでて感覚的に「あー、そうだよなぁ」となるような、色んな仮説や考察のためのヒントになるような本。成育歴を振り返ることの多い人や、教育や福祉に関わる人にとっておすすめ。

愛着とは?

さて、まず愛着とは「特別に選ばれた存在との絆」のことを言う。子どもを例にすると、誰か(親が多いが、親ではなくても良い)が自分と特別につながっていたと『子ども自身が感じたとき』に、愛着が子どもの中に作られる。愛着の主体は受ける側で、伝える側が本当に愛を持って接していても愛着が作られないことがある。

愛着形成された人は、心に安全基地が作られる。お母さんと一緒にいる間は落ち着く子どものように、無意識的に心が安心できる場所があることを知っている。安全基地のある人は、外に出たときにストレスがあったとしても、すぐに回復できる場所があることを知っているから挑戦ができる。しっかりとした愛着のある人は、愛着を築いた相手と離れても、安全基地の感覚が心の中に残るために色んなことへ安心して挑戦しやすい

他にも、人とのつながりを愛着という形で無意識に理解しているので、人の反応を肯定的に捉え、関係を築きやすい。これによってものごとを素直に捉えることや、前向きな精神を持ちやすい。大人で考えると、安定した愛着を持っている人は自信を持ち、仕事や人間関係に積極的に挑戦していける。

逆に持っていない場合、よりどころとなる心の安全基地がなく、つながりを信じにくいため、漠然とした不安を感じたり、対人関係に恐怖を抱きやすい。具体的には、自信が持てなかったり、なにかに依存したり、ストレスから回避しようとするなど、自己や社会生活での不安定につながりやすい。

愛着が作られる次期は生後半年~1年半ごろがピークと言われ、愛着を築く過程は人がコミュニケーションを手に入れる第一歩ともいえる。ただ、幼少期はもちろん、成人してからも愛着が作られるタイミングはある。それでも7~8割の人は子供の頃にできた愛着スタイルを、大人になってもそのまま持ち続けるという。

愛着スタイル

では愛着スタイルとはなにか?著者が愛着障害と呼ぶものには狭い意味と広い意味がある。狭い意味での愛着障害は、反応性愛着障害という虐待やネグレクトからくるもの(医学的定義はこっちのみがほとんど)。広い意味での愛着障害としては、反応性よりも安定しているが、愛着にいまだ不安定さが残る、不安定な愛着スタイルを持っている状態。この違いは愛着形成の度合いであり、本書では広い意味での愛着障害をメインに言及している。

医学的定義による反応性愛着障害については
・抑制性愛着障害 … 誰にも愛着しない警戒心の強いタイプ
・脱抑制性愛着障害 … 見境のない愛着行動をとるタイプ
の2つに分類される。

そして、広い意味の愛着障害については
・安定型 
・回避型  
・不安型
・恐れ・回避型
の4つのスタイルに分類される。これらのスタイルが、本書でいう愛着スタイルである。

愛着障害

狭義と広義は定義として違いがあるけど、違いは愛着形成の度合いであって、根本原因は似ている。

不安定スタイルの愛着障害

広義の愛着障害のうち、回避型、不安型、恐れ・回避型の3つを不安定型の愛着スタイルと呼ぶ。愛着形成がうまくされなかったスタイルとも言い換えられるこれらのスタイルは、成人においては狭義のものと合わせて3分の1ほどの人が該当するという。では、これらの人にはどういう特徴があるか。

回避型スタイルは、人との距離を置いた関係を望み、親しい関係性にストレスを感じやすい。自己責任を重んじて、人と関わらないことで責任を負うような行動を避けたり、ストレスにならないよう葛藤(あらそい、もんちゃく)を避ける。感情的にならないよう制御して、クールに徹することで傷を受けないように振舞うことが多い。

不安型スタイル
は人に嫌われることや、人に受け入れられないことに関心が向いている。人の表情や感情に敏感で(ただし正確に読み取れるとは限らない)、反応を伺ったり、過剰な気遣いをしやすい。一旦関係を受け入れられると考えると、その人への依存に走りやすいのも特徴とされる。基本的に他者は自らを傷つけたり、非難する存在だとみなす傾向がある。

恐れ・回避型は、回避型と不安型の両方が強いタイプである。人に受け入れられたい(依存的)ので仲良くしたいと思う反面、関係性へのあきらめがあるために強いストレスを感じるといった、不安定なケースが多い。人を信じたいが、信じきれないといったジレンマが生じる。

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※ ちょっと考察(自分の意見)

不安定型の愛着障害についてなんだけど、回避型や不安型がどうしてそういうスタイルをもつのか、本にあることをヒントに、少し考えてみる。

回避型の根本には、愛着(特別に選ばれた存在とのきずな)を求めても得られなかったことで、そういった関係へのあきらめがあるのかもしれない。例えば、自分が愛着を求めても突き放されたり、つながりを作る最初である愛着形成でつまずいたとしたら。コミュニケーションを考えること自体、嫌になったり、興味がなくなるのではないだろうか。

不安型の根本には、身近な人から自分が思うような形の関係を得られなかったことによる、関係性への恐れがあるのではないか。例えば、過保護に育てられた一方で、親の意に沿わないことには強く拒絶される経験があるとする。子どもからすると普段は優しいのに、急に怒られたり、否定されたりすることで、コミュニケーションに混乱をきたす。どう受け取ったり、伝えたりしたらいいの?みたいな。

そのことで、人との会話中、常にいきなり怒られたり否定されないかの不安が付きまとうようになる。ただし、親に見放されると生きていけないので、顔色を窺い、不快に思われないよう振舞う。相手の反応を見ることや気遣いは、他者を立てること(依存)で自己防衛を行っているスタイルなのかもしれない。
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本ではこういった愛着の基本的な考え方について述べた後に、その克服方法についても書いている。安全基地となる第三者がいることや、子供の頃の愛着不全になった原因に対するアプローチ方法。社会生活上での役割や責任によって関係を作り愛着を手に入れることや、自己の確立など。

例題を出しながら書いているので、ここはまたの機会にまとめて書くかもしれない(需要あれば、早く書くかも)。

感想

本書は愛着障害の啓発がメインであったように感じた。人の精神と日頃接している著者(精神科医)が問題に感じ、心の問題に目を向けようよ、というような内容。愛着は、誰かの心を考える上で無視できないものであって、一度考えた方が良いものだと思う。ただ、愛着障害は心を知るヒントや解決策になる一方で、これだけで人の心すべてを判断できるほど万能ではない。

例えばタイトルの「漠然とした不安」「つながりを信じられない」ということは確かに不安定型の愛着スタイルだ、で説明できるけど、愛着以外にも個人の感覚や過去の体験記憶(対人トラウマやエピソードなど)にも当然左右されると思う。その人がADHDやHSPであって、他の人との感覚の違いに孤独を感じていたら?過去に誰か人からひどいことをされた経験があったら?それは愛着が全て原因ではない、となるかもしれない。

だから誰かの心を考えるときは、目の前のその人に対し向き合って、自分がどう理解してどう関わるかを考えることが重要だと思う。

最後に。愛着と聞くと親と子を連想しがちで、その責任が親にあると思われがちだけどそんなことはないと思う。どんな人でも伝えたいことが伝わらないこともあるし、愛着形成は違う誰かとでもいいんだから。ちょっと視野を広げて、みんなで関わっていけばいいと思う。そういう文化が広まったり、もうちょっと開けた色んな交流ができるコミュニティがあればいいな。


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