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私がカービィと

教育実習の事前訪問に、母校の中学校を訪ねたとき、「もっとユーモアを持つように」との指導を受けた。「つかみで面白い人だと思ってもらえないと、授業を聞いてもらえない」と。

考えて、考えて、苦し紛れに出てきたのが、自己紹介の

「カービィよりも歳下でピカチュウの歳上です!」

というというネタだった。

確か打率は6割くらいで、当たったクラスでは授業がやりやすく、すべったらそれを引きずった。なんにせよ先輩のアドバイスというのは有益なものだ。

カービィは1992年に第1作、『星のカービィ』がゲームボーイ向けに発売されたゲームシリーズだ。

家でゲームが禁止されていたから、多くのゲームキャラとの出会いは知人の家でのスマブラだった。リンク、サムス、ネス……カービィに出会ったのもそうだ。アピールの「ハーイ」が何故か印象に残っている。

その後は、私の人生においてカービィは、ゲームキャラというよりはアニメのヒーローという立ち位置になった。テレビアニメ『星のカービィ』は当時の私のお気に入りだった。

子供向けアニメにしては、社会風刺やブラックなネタが多い傑作として語り継がれているが(毛沢東、スカーレット・オハラ、J・K・ローリングをパロディしたキャラクターなんてものも登場する)、はてさてそこまで理解してみていたものか。ともかく、メタナイトがかっこいいと思っていたのは間違いない。

土曜日にいつも見ていたのだが、なんと最終回が運動会とかぶってしまった。まだ保育園児だった弟に、代わりに見て内容を教えてくれるように厳命したのだが、さすがに無理があった。最終回の内容を知れたのは、かなり後にローカル局でやっていた再放送を見た時だった。

カービィのアニメなのだから、カービィのCMは当然流れただろう。覚えているのはカラオケで大人たちが盛り上がっている『夢の泉デラックス』のCMと、BGMを高らかに歌い上げる『カービィのエアライド』。あと、「欲しいの欲しいの欲しいのカービィ」「星のカービィやっちゅうねん」という掛け合いが耳に残る学習帳のCMは覚えている。

その『カービィのエアライド』、傑作と名高いが、友人の家で1度遊んだきりなのでよく分からない。シティトライアルvsデデデで、ボムを使って友人もろともに吹き飛ばしたのが爽快だったのは覚えているが。

対して『夢の泉デラックス』は一番やり込んだカービィだ。中古ゲーム屋で箱つきのをいくらかで買った。すべてのスイッチを押し、達成率を100%にして、エキストラをクリアし、メタナイトでGOも何度もクリアした。姉が「フリーズカービィが可愛い」と言ったから、フリーズだけでクリアしたこともあった。ヤシの実の対処には困ったが、力押しで通り抜けた。

無印、2、USDX、64、ロボボ、トリデラ、それぞれに思い出深い。

教育実習よりも後のこと、あまり面白くもない用事のために、渋谷くんだりまで出てきていた私は、帰りに少し寄り道をして、上野に向かった。

向かった先はヤマシロヤ、期間限定で「星のカービィミュージアム」が催されていたのだ。

そこでは、企画書を含む貴重な開発資料が公開されていた。

そしてそれは、壮大なボツの山だった。

見たことがないコピー能力があり、あの敵の見たことがない姿があった。

SDX用に作られたコピー案には、攻撃衛星からレーザーを降らせる「サテライト」、巨大な注射器で敵の血を奪う「ドネイト」なんていう能力があった。

原案段階のマホロアは、どう見てもプレジデントハルトマンにそっくりだった。

中でも、衝撃だったのが初代の企画書だった。

初代星のカービィといえば、伝説のソフトだ。

ほとんど完成し、広告まで打っていたところに、マリオの生みの親である宮本茂がやってきて、「このゲームは少し変えればもっと面白くなる」と伝説の『ちゃぶ台返し』。『ティンクル・ポポ』のタイトルを『星のカービィ』と変え、ポポポと呼ばれていた主人公は、カービィになった。

その、『はるかぜポポポ』企画書を私は見た。

「空を飛べる主人公 体力のないアクションゲーム ダメージを負うほど主人公は吹っ飛びやすくなり、画面から出たらアウト ゲームボーイの画面の小ささを生かす 通常状態・敵くわえ状態・膨らみ状態のそれぞれで吹っ飛びやすさが変わる」

ひとつの衝撃は、ディレクターである桜井政博のもうひとつの代表作『大乱闘スマッシュブラザーズ』の片鱗がすでに見られること。もうひとつは、実際に発売されたカービィは、全然そんな内容ではないということだ。

いま桜井がカービィについて説明するときは、「初心者向けに作った。マリオと違い、離れて攻撃できるし、飛べるので落ちない」といった説明になっている。けれど、企画書を見る限りそれは半分でしかない。もう半分は「ゲームボーイというハードを生かした『体力のない吹っ飛びアクションゲーム』」というアイデアだ。2本あった軸のうち、1本が失われたのだ。そしてカービィシリーズは傑作になった。スタート地点から方向が変わることを、恐れてはいけないのだと、身震いするような思いで受け止めた。

桜井さんを私は天才だと思っている。その桜井さんでさえ、作品を世に出すまでにあれだけのボツの山を築いた。であれば、私たちが初めから完成形を作ろうとするなんて、おかしな話だろう。

私は天才ではないのだから、桜井さんよりも大きなボツの山を作らなければ、そこにたどり着けるはずがないのだ。


……あ、あと感動したのが夢の泉の「何のためにサブゲームを作るのか」なんだけど、なんて書いてあったか覚えてる人いる?なんかの本に書いてないかしら?


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