ひとりの男のゲームの終わり

父方の祖母が死んだ。

私の家はゲームが禁止で、テレビゲームを遊ぶ機会といえば、友達の家か、父親の家に遊びに行った時くらいだった。だから、父の家に行ったときは、姉と一緒にゲームに没頭した。

父の家には、当時としても型落ちの初代プレイステーションが置かれていた。デュアルショックですらないコントローラーで、私たちは飽きずにゲームをした。テトリスX、ボンバーマン、ボンバーマンランド、ストリートファイターEX plus α…。姉はいつもトロッコを独り占めした。私は波動拳の打ちすぎで、いつも親指が水ぶくれになった。

祖母は消化器系のガンで、数年前から容態が危ぶまれていた。亡くなる前に、もう一度だけでも孫の顔を見せようと話には上っていたのだが、叶わなかった。

父には長らく会っていなかった。計算すると、5年ほど会っていなかった。久しぶりに会った父は、恐れていたほど変わってはいなかった。まあ、髪の量は減っていた。

こんなところにあったのかという教会で、祖母の葬儀は行われた。葬儀を取り仕切る牧師が、聖書を引用したあと祖母の生涯を語った。早くに夫を亡くした女性の、ごくありふれた生涯だった。それは父の、私が知らない方の半生でもあった。

焼き場へ向かうタクシーの中、私は父にゲームの話をした。私には、ゲームの話しかなかった。私は任天堂のゲームの話を、ポケモンの話をした。父は私たちに「ミュウツーは元気?」と訊ねた。それは、一緒に映画を観に行って、もらったポケモンのことだった。そして父は「うちはプレイステーション派だったのに、どうしてこうなったんだろう?」と言った。私は曖昧に、世代じゃないかな、と答えた。

私は父に、最近どんなゲームをしたか訊ねた。父は答えた。

「最近はあまりゲームをしてないな。戦車のゲームで(わたし)に負けたあたりで、ついていけないって感じちゃった。」

それが父の答えだった。それは、私の中の何かを貫いた。戦車のゲーム。覚えている。SIMPLE1500シリーズ Vol.90 THE 戦車。火星軍の戦車で戦うTPSゲームだ。ビルボードの灌木を踏み潰したことも覚えている。当時の私の戦法は、とても戦法と呼べるものではなかった。ただ、戦車の横腹に突撃して、相手の砲塔が回りきるより早く0距離から砲撃し装甲を削りきるというものだった。

私は思った。ふざけるな。勝手に負けを決め込むな。こんなものが私の勝ちであるものか。まだ私は勝っていない。まだ私は、ストリートファイターZERO2の下強Kで壁ハメされた借りを返していない。ゲームを降りるな。私があんたを完膚なきまでに叩きのめす前に。

そんな言葉が口から出るはずがなく、私は曖昧に笑った。

葬儀が終わり、牧師たちと、父たちと、私たちの夕食も終わった。私は、姉をひとつ隣の駅まで送ることになった。徒歩の姉に、私は自転車の後ろに乗るか訊ねた。スカートだが大丈夫か聞くと、姉はやけに明るい声で「いいよ、私は喪服で2ケツする!」と答えた。

いつもより重いペダルを漕ぎながら、私は、ひとりの男のゲームの終わりについて考えた。

#プレステの思い出

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