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私がゲームと

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私はまだ何のゲームも作っていない

私はゲームが好きだった。いや、それは嘘だ。私がゲームを好きだったことなど一瞬もない。私はゲーム禁止の家に育ったのだから。ともかく、私はゲームに憧れていた。

そんな私が、ゲームを作りたいと思うようになるのは、とても自然なことだった。少なくとも、私にとってはとても自然だった。

きっかけがなんだったのかは、よく覚えていない。NHKのビットモンデュエルかもしれないし、姉が私を膝の上に乗せて演じてくれた

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そしてひとりの始まるゲーム

そしてひとりの始まるゲーム

初めて買った据え置きゲーム機はWiiUだった。それは、ほとんど当てつけで買ったようなものだった。

両親が、というか母親が老後の趣味を計画していた。時々新聞の広告に載っている、カラオケマイクを買おうと。私は言った。なんてコスパが悪いことをしようとしているんだ。それよりはずっと、WiiUを買ってJOYSOUNDのカラオケをやった方がずっといい。なんなら私が貴女の誕生日に買うからそのカラオケマイクは買

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私がポケモンと

私がポケモンと

母校の中学校に教育実習のために行った時に自己紹介でこういった。

「カービィよりも歳下で、ピカチュウよりも歳上です」

そんな世代の人間は、もうほとんどポケモンと一緒に大きくなったようなものだ。

物心ついたときから、ポケモンはすぐ身近にあった。幼稚園の送迎バスの中もポケモンの話題でいっぱいだった。

姉は誕生日にピチュー1/1ぬいぐるみをもらった。ろうそくの火で耳が焦げた。4歳で引っ越すとき、友

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私がカービィと

私がカービィと

教育実習の事前訪問に、母校の中学校を訪ねたとき、「もっとユーモアを持つように」との指導を受けた。「つかみで面白い人だと思ってもらえないと、授業を聞いてもらえない」と。

考えて、考えて、苦し紛れに出てきたのが、自己紹介の

「カービィよりも歳下でピカチュウの歳上です!」

というというネタだった。

確か打率は6割くらいで、当たったクラスでは授業がやりやすく、すべったらそれを引きずった。なんにせよ

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ひとりの男のゲームの終わり

父方の祖母が死んだ。

私の家はゲームが禁止で、テレビゲームを遊ぶ機会といえば、友達の家か、父親の家に遊びに行った時くらいだった。だから、父の家に行ったときは、姉と一緒にゲームに没頭した。

父の家には、当時としても型落ちの初代プレイステーションが置かれていた。デュアルショックですらないコントローラーで、私たちは飽きずにゲームをした。テトリスX、ボンバーマン、ボンバーマンランド、ストリートファイタ

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生まれて初めてプレイしたゲーム

生まれて初めてプレイしたゲーム、というものを覚えているだろうか?私は覚えている。『ヨッシーストーリー』だ。

と、いっても当時私は字が読めなかったから、タイトルは記憶を頼りに推測したものだ。なんなら私は、何故だか私は『ヨッシーのピクニック』と覚えていた。

うちにはゲーム機はなかった。いや、あったのかもしれないが、少なくとも見たことはなかった。だから、初めてのゲームは他人のうちでプレイしたものだ。

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家に篭るなら『ゼノブレイド2』

ゼノブレイド2 は、“ゼノブレイド”の“2”である。

シリーズ既プレイヤーはここで膝を打って帰っていっただろうから、ここからは、ネタバレにならない程度に言葉を濁しながら話していこう。

ゼノブレイドは、任天堂の大作ロールプレイングゲーム(RPG)シリーズだ。スマブラに無印の主人公であるシュルクが参戦していることから、「プレイしたことはないがタイトルだけは知っている」という人も多分日本には400万

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