ソロで生きる(とある先生について

僕の好きな(若干癖はあるけど)先生が、授業でこんな事を仰っていた。

「若い内は、何で人間は2人くっついて無いと生きれないのか、とかそういう根源について悩むけど、大体、自分の子供が生まれた瞬間に、あぁこういう事なんだなって、理解るもんなんだよ」


マジで?

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その先生は本当に色んな意味で凄くて、自分の気に入らない所があれば学生も先生も叱りつけるし、所構わず嫌味は言うわ下ネタは言うわ単位は出さんわで、とにかくまぁ、凄い。
学生の評判もなかなかといった感じである。


先生の授業を取ったのはその話を聞く前で(一般教科の単位がいくつか必要だったので、楽そうに取れそうな題名の教科を適当に取ったつもりだった)、これはミスったんじゃないか?と自分の中のオーディエンス達(多分3万人くらい)がざわつき始めていた。


その話を聞いた後「どうしようか…」と思ったけど、初めてその人の授業を受けた時、確信した。この人、超面白い。


とにかく、知識の幅が半端なく広い。会話する度日本文学、近代思想、何やらかんやら、引用がありとあらゆる所から飛んでくる。半分くらい未知の単語だった時もある。発言の1つ1つに背景があって、どんな説教も芯があって、確かに嫌味っぽいが理不尽さは無かった。

しかし、全てに対して答えを見いだせるような知見のあるその先生ですら、性愛(または出産)というワードには暗黙知に近いような、ぼんやりとした事を仰った。


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そういえば、私の敬愛する三島先生も、自決の数日前に「息子がどうしても可愛い」というように死を惜しむような事を口走ったという。あれだけのポリシーを持った方ですら、我が子を前にすると揺らいでしまうらしい。

それでもやっぱり僕は出来るだけ家庭という陳腐なものを目標にして生きるのは避けたいと思わずにはいられないけれど、これはまだ自分が青いだけなんだろうか…?


それか、「理解る」というのも、また先生の小粋な嫌味なのかも。
どうなんだろう。

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