『東京宣言』Tele
おはよう、東京が怯えてる。
日々を消費するように生きる現代の人間には
童謡を生み出す余裕が無い。
生み出してもきっと意味を成さない。
働くことが「善」とされ、
頑張るという抽象的な言葉でさえ
「当たり前」にされ、
麻痺してしまった現代人では
かつての当たり前は言葉にしなければ
思い出せない。
雨脚と証券。
利己的なもの、情がないもの、
動かざるを得ないもの。
群れを動かすものは最早、童謡などでは無い。
愛を待つ僕ら。君はどうするの?
僕は書くよ音楽を。
寄り添うような突き放すような
腹を括ったこの詞が私は好きだ。
私も現代社会は酸欠なんだと思う。
もうとっくに限界で。
吸い込むものはもう無いのに、
吐き出すものはこんなに汚れている。
なんで苦もなく君を殺せるの。
なんでそこまでして、
なんでそんなになってまで。
そう思うことが増えた。
そんなにボロボロで、そんなに急いで、
みんな一体どこへ行くの?
そんな日々を送るみんなを他所に
彼は「彼を彼にたらしめるもの」を探している。
誰も耳を傾けやしない声で、
いつしか誰も考えなくなった
「理由」の話をしている。
ここでは夢は見られないと揶揄されても、
まだ彼はそれを飲み込むことしか
別の苦味でかき消すことしか
できなかったのだと思う。
ねぇ、酸欠の国。現代。東京。
国のために、群れの一員である君のために、
僕は死なないよ。
『風が声の居場所を奪うなら、
僕は愛を突き刺すだろう』
彼の宣言。
誰かが誰がに気付くだけで
息を紡ぐことを辞める人は減ると思う。
そして最後に願うことは、
この歌が子守唄くらいになれば。
宣言ではあるのだけれど
一貫してただの祈りでしかない。
全ては君の自由だし、誰もそれを縛れないし。
心が麻痺していることも、
幼稚なままであることも、
苦もなく君を殺すことも、
君のために死なないことも、
全ては自由だ。
余白のない現代に、目を塞ぐ彼らに、
諦めた彼女らに対する盛大な祈り。
救ってはやれないけれど
心だけは殺さずに。どうか。
自分と世間とがうまく噛み合わなくなった時
音楽では新しい世界を作ることも可能だ。
それでは曲の主旨とはズレてしまうのかもしれないが自由であるとはそういうことだとも思う。
でも、彼はそれをせずに
耳を傾けてもらえなくても、嘲笑されても、
あえて「東京」に祈る。「東京」に誓う。
サンプリングも高らかに歌う声色も
曲調もジャケ写も。
この曲への好きは沢山あるから、
それはいつかまた、書きたいと思う。
どうしたって綺麗に何もかも諦められないし、
できることなら誰も死なないと良い。
そんな彼と私も一緒に愛を突き刺して祈りたい。