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ソフィアのホテルヴィトーシャ・ニューオータニ Hotel Vitosha The New Otani

東ベルリンのGrand Hotel Berlinのことを紹介したが、それ以前の1970年代に日本人建築家が設計したホテル、Hotel Vitosha The New Otaniがブルガリアのソフィアにある。

黒川紀章が設計、21階建、442室、建設はブルガリアのTehnoeksportstroyと三菱のJV、黒川は設計に際してBulgarian National Revival style of Koprivshtitsa and Plovdivを参照している。プロブディフは古都でありコプリニシティッツァは農村、ブルガリア民俗、木造の出窓はオスマン帝国の影響なのかもしれない。

建設にあたって円借款が供与されている、これは当時の社会党衆議院議員であり東海大学創立者である松前重義が強く関係していたようだ。
(1)ソフィアホテル建設計画(48億3,200万円、1975年交換公文署名)
https://www.bg.emb-japan.go.jp/jp/oda/economical_collaboration/index.html

開業は19795月24日、ソ連邦崩壊後の1994年にはIntercontinentalに、1997年にはKempinski Hotel Zografski Sofia、2014年に現在のHotel Marinela Sofiaになっている。1988年と1989年にWTAテニストーナメント会場となった。

1996/97年、ブルガリア国鉄業務でソフィアに出張した時にこの旧ヴィトーシャニューオータニ、Intercontinentalに宿泊していたが、途中で売却されKempinski Hotel Zografski Sofiaになった。その時、ブルガリア経済危機の最中でVISAを扱っていたブルガリア農業銀行が破綻し、ホテルからクレジットカード支払いが停止しており、支払いは現金か銀行送金で支払うよう要請があった。困ったなあと考えていたが、チェックアウトまでには他の銀行が肩代りしVISAでの支払いが再開した。そんなこともあり長居は無用と旧市街の旧市場に近いグロリアパレスというこぢんまりとしたホテルへ移った。

1996年当時のブルガリアのインフレ率は200%を超え、翌年からドイツの支援の下、西ドイツマルクとブルガリアレフがリンクする通貨管理制度が導入されてインフレは落ち着いた。

現在のホテル, Hotel Marinela Sofia
https://hotel-marinela.com/our-history/


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