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オーセンティックリーダーシップ

管理職は大変な時代を迎えています。
最近読んだ「罰ゲーム化する管理職」(小林祐児著)でも、いまの管理職の仕事の負担増、そして働き方改革の矢面に立たされる心理的負担についてデータとともに解説がなされており、まさに「管理職昇進=罰ゲーム」になっているようです。
実際、私の身の周りでも管理職になるのを拒否したり、降格を申し出たりする人が増えてきています。

そういう状況に反して、企業における管理職の役割はますます重要になってきています。そもそも管理職とは何かというと、労基で定められているものもあれば、コンサルタントや学者の方々が定義しているものもあり、一概に決まったものがないのですが、何をするかよりも何に責任を持つのかが重要な気がします。

何の責任かといえば、
「経営と人の矛盾を調整する責任」
があると私は考えています。

経営サイドの視点と現場を回す人たちの視点は当然違うわけで、そこに経営陣の指示と現場の言い分とがぶつかるのは当然です。
そこをどう折り合いつけていくかは、とてもシンドイ。

例えば、経営陣は利益予算を達成せよ、そのためには生産性をもっとあげてくれと言ってきます。一方、現場はこの人数では回らない、もっと人を増やしてくれ、休みもとらせろ、と言ってくるでしょう。二律背反することをどう調整して進化の方向にもっていくかが本来の管理職の責務だと考えます。

ところが、「働き方改革」「コンプライアンス重視」「賃上げ」の流れが管理職の責務を異次元の難しさにしてしまっています。

時間外を抑制し年次有給休暇をとってもらうにはある程度の人員の余裕が必要。ところが賃上げで人件費が上昇するために利益を圧迫。ならば生産性改善をせよと言われてもいままでそういうことをしてこなかった管理職にはまさにムリゲーに近いものがあります。
いらついた管理職のなかに強く物言いをしてしまいパラハラとなって懲罰委員会行き。
目の前で起きているパワハラを強く注意しすぎて逆にパワハラで訴えられることも。

こういうなか、管理職のスタンスはどうあるべきなのか。
一つの形を示しているのが、「オーセンティックリーダーシップ」の考え方ではないか、管理職の心身の健康を守るものではないか、と思います。


このリーダーシップ論はまだまだ研究途中であり、確立されたものになっていないようですが、簡単に言えば、自分の価値観や倫理観を大事にし、ありのままの自分でいく、というものだと考えられます。よく言われる「リーダーシップを演じる」という考え方の対極にあるものです。それゆえに条件もいくつかあります(図表参照)。

「オーセンティック=本物、ありのまま」ということから、ありのままの自分でいこうというところに力強いメッセージを感じます。

アナ雪がヒットした要因のひとつに「ありのまま」というキーワードがあるように思いますが、社会全般を見ても偽物ではない本物への渇望感がより強くなっているように感じますし、ビジネスの場においても「本心で言ってない」人はもはや信頼できないくらい切羽詰まった状況になっているのもあるかもしれません。

特に大事なのは、自己防衛としてのリーダーシップ論だということ。ビル・ジョージ氏の寄稿など読んでいると、瞑想したり健康管理をキチンとすることを重視しています。
管理職になった途端に自分の信念や価値観を捻じ曲げてしまい、そのことによってメンタルや身体を壊す、そして健康被害を被って寿命を短くしてしまう、そんなことにならないためにもありのままの自分を大事にしなさいというメッセージが伝わる理論です。

ありのままの自分を大事にするのは、自分を守るためでもありますが、そうすることにより、組織内では予期せぬ不利益を被ることもあるでしょう。そうした場合は下記記事の最後のドラッカーの言葉に従うのもよいことだと思います。誠実にかつ着実にスキルを身に着けたあなたのことを、意外に世の中はよく見てくれています。
世の中は真面目に正しく働き優秀な人を常に求めているのは間違いありません。