李国秀〜スポーツは世界を覗く窓〜
ブラジルへの想い - 前編
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ブラジルへの想い - 前編

李国秀〜スポーツは世界を覗く窓〜

中学1年生だった1970年に行われたワールドカップ(W杯)メキシコ大会が、私の人生を決めたと言えるだろう。決勝で、ペレを中心としたブラジル代表が、カテナチオで鳴らすイタリア代表を圧倒、4―1で退けた。

1点目は19分のペレのヘディングシュート。イタリアは37分にボニンセーニャがいったんは同点とするが、ブラジルは後半に入り、66分にジェルソンが勝ち越す。71分の3点目は、ペレが頭で落としたところに走り込んだジャイルジーニョ。圧巻は87分、右サイドバックでキャプテンのカルロスアウベルトが、ペレからのパスを弾丸シュートで決めたダメ押しの4点目だった。

灼熱のスタジアムが映し出され、驚愕したのも覚えている。選手の影が丸いのだ。真上から日が照りつける正午からの試合。時差のある欧州でテレビ中継を見やすくするためだった。「ブラジルの優勝は3度目」とアナウンサーが熱狂していた。

ペレを初めて見た。選手として晩年を迎え(29歳)、これが最後のW杯となったが、ボールを取られないし、周りの選手もよく使い、それこそ手に負えない選手だった。相手が来ればパスを出し、来なければボールを運ぶ。シュートを打つフリをして仲間に得点させるなど、「すごい」の一言だった。これに夢中にならず、何に夢中になるのか!

1972年にサントスFC(ブラジル)の一員として来日し、日本代表と対戦した。いつ、どこでも、どんな環境でも自身の最高のプレーをする。それがペレだと言われていた。

メキシコW杯から52年後、日本代表とのゲームで来日したブラジル代表。思い返せば1994年W杯米国大会の決勝もロサンゼルスで観戦した。やはりブラジルvsイタリア。ブラジルは天才FWロマリオを中心にバリエーション豊かな攻撃力でイタリアに猛攻を仕掛けたが、イタリア監督の鬼才サッキにてこずり、0-0のまま延長に。PK戦はイタリアの宝と言われたロベルト・バッジオが外し、ブラジルに栄冠が輝いた。

2002年W杯日韓大会では読売新聞の解説者として、済州島でブラジルvs中国、蔚山でブラジルvsトルコを、決勝ブラジルvsドイツは横浜国際競技場で観戦した。決勝でブラジルは、ロナウドの一撃もあり、ドイツを2-0で撃破した。

2006年W杯ドイツ大会も、読売新聞の解説者としてドルトムントでのグループリーグ日本vsブラジル戦を見た。ジーコ監督率いる日本は、玉田選手の素晴らしい左足のシュートがネットを揺るがせ先制する。全く動じないブラジルは、天才か宇宙人かロナウドが2得点。日本は軽くあしらわれて1-4での惨敗だった。点差以上に、力の差を見せつけられた。

何なんだろう、この差は。続きは次回に。

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