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久しぶりに新潟明訓が甲子園出たら面白いかも #058

こっそりと、秋の高校野球新潟県大会
本日9月26日(木)、決勝戦と3位決定戦が行なわれました。


1.秋の高校野球新潟県大会決勝戦

結果は
【決勝戦】
新潟明訓4―3中 越 
※8回ウラ、明訓が一挙4点を挙げて逆転。
【3位決定戦】
帝京長岡5―1北 越

※昨日の準決勝
中  越 5―2 北  越
新潟明訓 8―4 帝京長岡

これにより、新潟明訓、中越、帝京長岡
の3校の北信越大会進出
が決まりました。

3位校は他の4県(福井、石川、富山、長野)
の1位校の何れかとの対戦となりますので、
帝京長岡は大変ですね。


そして優勝した新潟明訓
(以下、「明訓」と表記)は、
各県の3位校の何れかとの対戦となります。

※北信越大会を開催する石川県は、3位決定戦を行なわず準決勝に進出した4校すべてが北信越大会に出場。


2.他県の状況

(1)他県の状況一覧

他県の状況はといいますと…
※【】の右の()は、夏の代表校。

 新潟県は新潟産大付で、
 秋は初戦で中越にボコられました…。
 夏のベンチ入りメンバーで残ったの
 1人だけでしたし。

【長野県】(長野日大)
・準決勝戦(9月28日開催)
長野商業  ―  松本国際
上  田  西  ―  松本第一
・決勝戦と3位決定戦は翌29日。

【富山県】(富山商業)
・準決勝戦(9月28日開催)
富山第一  ―  砺  波
富山北部  ―  高岡第一
・決勝戦と3位決定戦は翌29日。

【石川県】(小松大谷
・準決勝戦(9月28日開催)
小  松  工  業    ―  小松大谷
日本航空石川  ―  金  沢
・4校すべて北信越大会出場決定済
・決勝戦は翌29日開催。

【福井県】(北陸)
・準決勝戦(9月23日開催)
敦  賀  気  比   6―0 大 野
福井工大福井 8―0 金 津
敦賀気比、福井工大福井の
 北信越大会出場
が決定済)
・決勝戦と3位決定戦は28日開催。


(2)なにかの間違いで選抜に出てくれるとウレシイな

夏の代表校は小松大谷以外
すべて消えています。


そして北信越の有力校といえる
松商学園・佐久長聖(ともに長野県)、
富山商業・高岡商業(ともに富山県)、
さらに石川県の星稜がいない
というのが。


まあそれでも明訓、下手すると
航空石川か金沢のどちらかと
当たってボコられる可能性も
あるのか…。


でも星稜がいないうえ、毎年
北信越大会に向けて調整
している感もある敦賀気比と
初戦で当たらない
だけでも
ラッキーなのかも。


新潟県勢は2014年の日本文理以来、
選抜には出ていません
ので、
明訓と中越、それに帝京長岡の
頑張りに期待したいものです。


3.こっそりと明訓・島田修監督について

(1)明訓の甲子園出場は佐藤監督時代

明訓野球部は1980年代前半時点で
新潟県内においてはそこそこの
強さのチームでしたが、1984年に
佐藤和也さんが体育教師として
同校に赴任するとともに監督に
就任して以降、本格的に県内の
強豪の一角を占めるようになって
ゆきました。

【佐藤和也さんの略歴】
1956年生まれ。長岡高校→日体大
確か1977年か79年の夏に
長岡が甲子園に出場した際の
どちらかで、コーチとして部に帯同。

1984年から2013年春まで明訓監督。
明訓を夏7回、春1回の甲子園出場に
導きました。
教え子に広島の小林幹英
三軍投手育成強化コーチらがいます。

2013年春より20年春まで
新潟医療福祉大学監督を務め、
同年4月より同大学総監督。

2013年に佐藤監督が退任したあとは、
明訓が1991年夏に甲子園初出場を
果たしたときの選手が監督に就任
しました。


(2)明訓OBではない島田修監督

佐藤監督時代の2012年夏の甲子園に
出場して以降、明訓は甲子園から
遠ざかりました。


その間、2000年代から台頭してきた
日本文理と、1970年代後半以降の
新潟県の高校野球をリードしていた
中越が復活してきたのに対して、明訓は
やや後れを取った感じに。


そして細かい事情は分かりませんが、
2019年4月、前月に村上の教頭を
53歳で退任した島田修さんが教頭
として赴任するとともに、
監督に就任しました。

以下は、上掲記事の補足になります。
1965年生まれの島田さんは
83年夏は長岡高校の3番二塁セカンド
新潟県大会の準々決勝まで進出
しました(準々決勝で、優勝した
中越に敗戦)。


この1983年度まで長岡の監督は、
1977年と79年夏に同校を
甲子園に導いた柴山勲監督でした
(柴山には翌84年、長岡工業の定時制
 に異動という怪人事が発令され
 ました。84年の同校監督は別の人)。

つまり佐藤和也さんと島田監督は、
長岡高校で柴山監督の指導を
受けた兄弟分の関係
といえる
でしょう。


記事にもありますが、島田さんは
早稲田大学(『大学野球』
1988年春号のベンチ入り候補一覧に
4年生で掲載。登録は内野手)
卒業後、1990年に高田工に赴任すると
硬式野球経験の無い監督を支える
コーチとして同校を夏の甲子園出場に
導きました。

その後は同校監督に就任し、
1994年夏は県大会準優勝。

そして新潟南監督を経て県教委、
明訓赴任前には「次は副校長」の
可能性もある村上の教頭と、
最終的には校長になるルートに
乗っていたのを降りての
明訓赴任。

2012〜13年は新潟県高野連の
専務理事
を務めたこともあり、
現場からみれば完全に
「過去の人」
だったと思います。
まあ球数制限の話とかを
担当していたようですが。

明訓野球部の人事としても、
島田さんの前の監督は
1973年度生まれになりますから、
年齢的には逆転人事

ですので、明訓側は自校OBに
限定せず、なりふり構わず
次の監督を探したのかも
しれません。
そうしたら、佐藤和也さんの
弟弟子といえる島田さんが
いたと。


そんな感じでいろいろと大変
と思われる島田監督ですが、
今回の北信越大会出場を契機に
明訓をより強くたくましいチームに
育ててほしいなと思います。
そしてあわよくば、
新潟県勢久しぶりの選抜出場を。


それでは、
ここまでお読みいただき
ありがとうございます😊


ではでは✨
(⬆️2,400字)





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