サミュエル・ピープスの日記(3)
翻訳・解説:原田範行(慶應義塾大学教授)
【王政復古の年である1660年のつづき。ピューリタン革命で処刑されたチャールズ1世の息子であるチャールズ2世は現在オランダに亡命中である。国王を迎えにオランダにやってきたイングランドの使節は、今、ハーグに滞在中。ピープスも用務に忙しいのだが、好奇心旺盛な彼は、時間を見つけてはあちこちに出かけていく。いったいいつ王が乗艦するのか、下っ端役人の彼には分からない。】
トップの画像:イングランドへ向けてオランダを出発するチャールズ2世。1660年5月24日。
5月18日
朝、とても早く起きる。われらが海軍卿ヨーク公*が本日乗艦と聞き、ピカリングさんと私は馬車でスケヴェリングへ向かった。若さま [=ご主人さまの息子のエドワード]は医者(ピアースさん)の手に委ね、私から連絡があるまでは終日外へ出ないようにと指示した。
ところが風が強くて、ボートが岸辺を離れることはとても無理。われわれはハーグへ引き返してみると(ヨーク公のお越しをご主人さまに知らせるべくやってきたヨーク公お付きの紳士とペット弁務官*の二人を交えて朝食を取った後に)、若さまはデルフト*まで町を見に出かけたとのこと。そこでわれわれはみな、牧師のイボットさん*も加わって小帆船に乗り込み、その後を追いかけて(いっしょにいた乗客の振る舞いや会話は見事なもので、多くはフランス語を話していた)、途中で追いついた。しかしわれわれの船は、そこで止まることなくその先へ進み、向こうへ着くと町の鍛冶屋の少年がやって来て(彼はオランダ語しか話せなかった)、フォン・トロンプ*がたいへん立派な記念碑の下に埋葬されている教会を案内してくれた。墓碑銘はこう結ばれていた――「彼はついに生きること、征服することをやめて眠る、対英戦において、勝つことなく、しかし負けることなく」*。大理石には対英海戦の様子が戦場の煙とともに彫られており、これまで見たこともないほど見事なものだ。
そこから、市庁舎の前にある大きくて立派な広場に立つ大きな教会へ向かった。大理石および真鍮でできた老オレンジ公*の壮麗な墓所を見学。多くの珍しいものの中に、天使がラッパを持ち、まるで人を呼んでいるかのように表現されたものがあった。どちらの教会にも立派なオルガンがあった。実に美しい町で、どの通りにも橋と川があった。
観察して分かったことだが、どの居酒屋にも、すべての部屋に慈善箱がぶら下がっている。訳を訊くと、あらゆる取引はその箱に何がしかを入れることで成立し、契約が確かなものとなるのだそうだ。
われわれはまた養老院も見学した。貧者のためにきちんと整備されていて実に好ましい。一人の貧者がそこで死にかけていた。
全部を見終えると、たまたまイギリスの居酒屋があったので、われわれはそこに入って酒杯をあげた。われわれは陽気に町のことを語り、また市庁舎にぶら下がっていた大きな升のようなもののことを話し合った。聞くところによれば、これは罪人に対する罰*に使うもので、これを頭に乗せて通りを歩くのだが、非常に重いのだそうだ。水路を使って戻ってくる際、美しくてまじめそうなオランダ娘といっしょになったが、ずっと読書をしていて話しかけても無駄だった。
船から上がるとペット弁務官に会った。彼は、イングランドへの特使として出かけるハーリー少佐*と海岸へ行くところだった。
彼らは馬車を持っていたので、私は、牧師と若さまを残し、ペット弁務官、アックワースさん*、ドーズさん*およびその友達といっしょにオレンジ公未亡人*のお屋敷へとまた出かけた。そこには、フェアファックス卿*ほか英国貴族数名もお越しであった。お屋敷の再訪は実に愉しいものであった。加えて、われわれはお庭にも行ったのだが、そこには見たこともないほどすてきな木の実があり、また、家の下にはわざわざ柱をアーチ形に組み合わせて作った見事な反響空間があり、縦笛を吹いてみたところこれがたいへんに引き立った。
ハーグへ戻ってみると、またエドワードさま [=若さまのこと] がおらず大いに気になったのだが、ともあれ私は牧師とともに、ペット弁務官のところへ食事に行き、遅くまでそこにいた。いろいろ陽気にやったのだが、アックワースさんは妻比べなるものを始めた。各々、自分の妻が一番だと言い合うのだが、アックワースさんにはたいへん美しい妻がいるのだそうだ。もっともドーズさんは奥さんについてひと言も語らなかった。
その後、宿へ戻り、W・ハウと私は、若さまがどうなったのか*分からず、大いに心配する。就寝。
5月20日*(~21日)
早起きをする。ピカリングさんと若さまといっしょに、馬車でスケヴェリングへ出かけたが、まだ沖に出られるような天候ではなかったので、私は宿の部屋に戻って横になった。同じ部屋にはもう一つベッドがあり、美しいオランダ人女性が一人で寝ていた*。好みのタイプであったが、彼女のところへ行くほどの勇気はなかった。それで、一、二時間、寝る。ようやく彼女は起き上がったので、私も起き上がり、部屋の中を歩き回って、彼女がオランダ風の身支度をする様子をながめ、いろいろと話しかけてみた。それから、彼女が人差し指に指輪をはめる機会をとらえてその手にキスしたが、それ以上のことをするほど大胆にはなれない。結局私は彼女を部屋に残して、仲間のところへ行った。
8時頃、スケヴェリングの教会へ出かけた。なかなか立派な建物で、祭壇周囲の内陣には、大きな鯨の上あご*があった。まことにもって巨大なもので、われわれの船にある長艇よりも大きかった。
ようやくペット弁務官がわれわれの宿所にやって来て、ボートを出すことにした。数名が一つのボートに、他の何人かが別のボートへといった具合に乗り込んで、われわれはみな岸辺に別れを告げたのである。
ところがひどい悪天候で、われわれはたいへん危険な目にあい、船にたどり着くまでに相当の時間を要した。私を除いてみなは、すっかり船酔いになってしまった。私はずぶ濡れになったものの外にいたのである。一年のこの季節に、四日も続けてこんなひどい天候というのは久しくなかったことである。実際、わが船団はひどく危険な状態にあるように思われていたが、みな無事であった。トマス・クルー氏*も乗艦した。
ご主人さまとひと言、ふた言交わしたものの、昨晩の飲み過ぎと睡眠不足のせいもあって気分が優れず、ガウンを着たままベッドに横になり、翌朝4時の時砲まで眠ってしまった。ところが私はこれを夜8時と勘違いし、小便に起きた際には日の出を、日曜日の日の入りと間違えてしまった。
<21日【欄外注記】>それで、ふとんなしのベッドで9時まで寝る。その後、ジョン・グッズ*が起こしてくれた。サン⹀マロの牡蛎4樽を艦長のボーイが運んできたが、これはタトネル艦長*がモルレー*から私のために送ってくれたものだ。
今日も終日、天気が悪かった。
昼食後、ずっとあれこれ書きものをし、書類の整理。しばらく留守にしていたので。
夜、パーサーのピアース氏*(もう一人のピアースと私は、エドワードさまのことで喧嘩*して以来、お互い口をきいていない)とクックさんが私の船室にやって来て、私と夜食をともにした。それから私は就寝。
留守中に来ていた手紙によると、議会は、先王の処刑に際して判事の側にいた人々の身柄を裁判のためにことごとく確保するよう命令を出したようだ。法廷に出席していた役人たちもすべてである。
国王に反対して武器を持った者はみな、恩赦から除外されるべきだとの動議を議会に出したサー・ジョン・レントール*は、議会の懲罰委員会に呼び出され、厳しい叱責を受けた後、爵位を剥奪された。宮廷では万事強硬な姿勢になっているようだ。昔の聖職者たちは、土地が戻ってくると言っては長老会議*を笑い飛ばしているが、国王や司教の土地売買は議会が認めないだろう*と言われている。議会が、そして国王が、やりたいことをするのを、今や誰も止められず、みな、なんでもかんでも従うつもりなのだ。
誰もが毎日、天候が回復次第、王とヨーク公の乗艦あるべしと思っている。
今やご主人さまは何もなさらない。すべてを海軍卿であるヨーク公の意のままに、としている。だから私も、どうしてよいのか分からないのだ。
5月23日
博士と私*はたいへん陽気に目を覚ました。ただ、昨日のこと*があって、私の片目は午前中、まだ充血していて具合が悪い。
午前中には、国王に随行する無数の人々がやってきて乗船する。
ご主人さま、クルー氏*、その他の人々が、乗艦される王を迎えようと岸に向かった。
そこで(サー・R・ステイナー*が王をボートにお乗せしようとした際)、ご主人さまと初めてお会いになるやいなや、陛下は、たいへんな愛情を込めてご主人さまにキスをなさったそうだ。
国王は、二人の公爵*とボヘミア王妃*、メアリー王女、それにオレンジ公*とともに乗艦された。乗艦される際、私は、王と王妃、それから王女の方々の手にキスをした。他の方々にはそれ以前にキスをしていたのだ。無数の祝砲がわざとばらばらに放たれた。そのほうが盛大なのだ。
終日、貴顕の方々の乗船が続き、船は超満員であった。
食事はたいへん威儀を正して行われた。王家はご一家のみで、後部船室にて食事をされたが、その眺めは実に喜ばしいものであった。
私は自分の船室にて、クラーク博士、クォーターマン博士*、それにダーシー氏*といっしょに食事した。
今朝、ルーシーさん*も乗り込んできた。別の船に乗っている彼や彼の仲間の国王近衛兵のために、ご主人さまがワインボトル3ダースをお贈りになったのである。ルーシーさんは、ピアースさんと私を仲直りさせてくれた。
昼食後、国王と公爵は○○において*、何隻かの船名を次の通り変更なさった。ネイズビー号はチャールズ号、リチャード号はジェイムズ号、スピーカー号はメアリー号、ダンバー号(これはわが船団には同行していなかったが)はヘンリー号、ウィンズビー号はハッピー・リターン号、ウェイクフィールド号はリッチモンド号、ラムポート号はヘンリエッタ号、チェリトン号はスピードウェル号、ブラッドフォード号はサクセス号、となったのである。
この後、王妃と王女たち、それにオレンジ公は国王にお別れを述べ、ヨーク公はロンドン号へ、グロスター公はスウィフトシュア号へお移りになった。それからわれわれは錨を上げ、いい風とすばらしい天候に恵まれて、イングランドへと帆走を始めたのである。国王は、午後の間ずっと船内のあちこちを歩き回り(それは、私が陛下に抱いていた印象とは正反対で)、実に活発で行動的であった。
後甲板にあって陛下は、ウスターからの脱出*の話をされた。陛下が味わわれた苦難の話を聞いて私は泣き出しそうになってしまった。四日三晩、膝まで泥濘にはまりながら歩き続け、身に着けていたのは緑の上着と田舎風の半ズボン、それに田舎風の靴一足のみ。足全体が痛くて、ほとんど動かすこともできないようなありさまであったという。
それでも彼は、陛下を泥棒と間違えた粉屋*とその仲間たちからは走って逃げなければならなかったのだ。
ある家で食事をしたところ*、その家の主人は8年間も陛下のことを見ていないにもかかわらず、目の前にいる人物こそ陛下であると秘かに知るに至ったのだが、その同じ食卓にいた一人の男は、ウスターの連隊にいたのに陛下のことが分からず、王の健康を願って祝杯を上げ、少なくとも王は、目の前にいる当の人物よりも指四本分は背が高いなどと言ったという。
別の場所で陛下*は、その家の召使たちから議会派だと強く言われ、そうでないことを分からせるためにやむなく杯を上げなければならなかった。
また別のところで陛下が*宿屋で暖炉のそばの椅子の背に手を掛けて立っていると、宿屋の主人がひざまずき、秘かにその手にキスをして、どなたであるかはお尋ねしないが、今後の旅路に神のご加護がありますようにと述べたという。それから、フランスへ渡るための船*を得るのにも苦労したという。陛下は、四人の乗組員と一人の少年(それがその船にいたすべてなのだが)には自らの計画を隠しておくために、船長にだけは秘密を明かし、それでフランスのフェカン*に到達したのである。
ルーアン*では、陛下はたいへん貧しい身なりだったので、彼が立ち去る前に人々が彼の部屋にやってきて、何か盗んでいないかどうかを確かめたという。夕方になって私はご主人さまのところへ行って、イングランドへの手紙を書いた。われわれがまもなく帰国するとの言葉を添え、その手紙をエドワード・ピカリング氏に託した。陛下は、お一人で、後部船室にて夜食を取られた。その後、私は食事をもらい、私の船室で、昼食の時と同様、仲間四人で食事をした。
就寝時刻になってバートレット卿*(以前、私は彼のために仕事をしたことがあった)が、ベッドを一つ用意してほしいとの意を使いの者を通じておっしゃるので、なんとか骨を折り、階下の大船室でミドルセックス卿と寝てもらうことにした。しかし、どうにかこの用事を片付け、彼のお世話が済むまでにはひどく苦労することになった。
再び私の船室に戻ってみると、仲間たちはまだ盛んに陛下の苦難について話をしていた。貧しい少年のポケットにあったパンとチーズをありがたく食したことなどなど。
また、カトリック信者の家では、身を隠すため、その家にいる間しばらく、司祭のための穴倉にいなければならなかったことなど。
その後、われわれの仲間も散会し、博士と私は床についた。上院からの使節の全員をはじめ、その他多くの人々が今、この船に乗っている。夜の間ずっと帆走を続ける。すばらしい天候だ。
5月25日
朝までには陸地にだいぶ近づき、みな、上陸の準備をしていた。
国王とお二人の公爵は出かける前に朝食をお取りになった。彼らの前に出されたのは船内食。船内食とはどんなものかをご覧いただくだけのためであったが、エンドウ豆と豚肉、それと牛肉を煮たものしか召し上がらなかった。
私はダーシー氏を船室に招き、クラーク博士とともに食事をした。博士によれば、王は、ご主人さまの従者たちのためにと50ポンドをシプリーさんに与え、また500ポンドをこの船の士官や水夫たちのためにくださった、とのこと。私がヨーク公に仕事のことでお話をすると、公は私のことをピープスという名前で呼んでくださった。そして私の願いを聞いてくださり、今後便宜を図ってくださることを約束された。
国王が何人かの人々に爵位を授けるとの期待が高まっていたが、そのようなことはなかった。昼頃、国王は(ビール*が2本マストの帆船を国王がお乗りになるよう作っていたのだが)、ご主人さまのはしけにお二人の公爵とともにお乗りになった。はしけを操船したのはわれわれの船の艦長で、ご主人さまは脱帽して王に随行した。私のほうは、マンセルさん*と王の従者一人とともに、そして王の愛犬一匹といっしょに別のボートに乗り込んだ(この犬がボートの中で糞をしたので一同大笑い、王も、また王に属するものすべても、みな他の者たちと同じであると私は思った)。われわれのボートは、国王と同時に岸辺に到着。ドーヴァー上陸に際し、王は、マンク将軍から考えられる限り最上の愛と敬意を込めて迎えられた。無数の人々が集まっている。馬に乗った者、市民、あらゆる貴顕の士などなど。
町の市長がやってきて、彼の職位のしるしである白い杖を王に渡すと、王はこれを再び彼に与えた。市長はまた町からの贈り物として王にたいへんすばらしい聖書を差し出したが、王はこれを受け取り、自分がこの世で最も愛するものであると述べた。
国王が中に入って立つために天蓋が用意されており、王はその中に入って立ち、マンク将軍ほかとしばらく話をされた。その後、王のために用意されていた堂々たる馬車に乗り込み、ドーヴァーに留まることなく、町を抜けてまっすぐにカンタベリーへ向かわれたのである。
集まった人々による歓喜の叫び声は想像を絶するものであった。ご主人さまがはしけから姿を見せないので、私はボートに戻り、はしけのほうへ行った。そこへジョン・クルー氏が入ってきて、ご主人さまとひと言ふた言、言葉を交わすとまた戻って行った。われわれはまた船に戻ることにしたが、その途中、男が一人、ボートから落ちて溺れかけているのを見たので、苦労してなんとかこれを引き上げた。
ご主人さまは喜びにあふれていた。これだけのことを、誰かに不快感を与えるようなわずかな失敗や支障もなくなしとげたのだから。自分にとってたいへんな名誉になるだろうと喜んでおられたのである。
2本マストの帆船が追いついてきたので、ご主人さまとわれわれははしけからそちらへ移り、サー・W・バッテン*や海軍中将*、少将*とともに船へ戻った。
夜、ご主人さまは、トマス・クルー氏およびストークス艦長と夜食を取られた。私のほうは、この船の艦長と夜食を取ったが、彼は王がわれわれにご下賜になったものについて話していた。夜遅くなってからご主人さまが戻ってきて、私に次のようにお命じになった。つまり、後部船室の机の端、ちょうど今日王が自らの手でご自分の背丈*をお記しになったところに金箔を張り、王冠とC.R.の文字をつけるようにとのことである。そこで私はペンキ屋を呼んでそうさせた。今やそれが仕上がって、ちゃんとそこにある。
5月29日
今日は国王陛下のお誕生日。
午前中はロンドンへの手紙を書くのに忙しかった。その中の一通はチェトウィンドさん宛てでガーター勲章のために紋章官に払う手数料を教えてほしいというものがあった。ご主人さまがお知りになりたいとのことだ。
昼食後、すべてを整え、わが妻への手紙一通と贈り物を添えて、クックさんをロンドンへ送り出した。
その後、ご主人さまと岸辺*に下りた(これはご主人さまが私にお申し出になったこと、今月は大いに仕事をしたからね、とのことだが、まったくその通りである)。
われわれは岸辺で馬を雇った。ご主人さまとエドワードさま、ヘットリー氏*と私、それから従者が三、四人――大いに乗馬を楽しんだ。なかでもおもしろかったのは、ご主人さまが私にある家を見せてくれたこと。かなりのお金をかけたものだったが、ずいぶんと荒れて不便な場所に立っている。それでご主人さまはこの家を馬鹿者屋敷と呼んでおられるのだ。
ついにわれわれは海辺のとても高い崖のところまで来た。その下を通りながらわれわれは大きな賭け*をした。この崖はセント・ポール大寺院ほど高くない、というのが私とD・マシューズ*。ご主人さまとヘットリー氏*は同じくらい、というのである。だがご主人さまは、崖の下を通りながら、棒を二本使って崖の高さをかなり正確にお測りになり、それが35ヤードを越えないということが分かったのである。セント・ポール寺院の高さはおよそ90ヤードである。そこからまたはしけへ戻った。途中、ディール*の人々が、国王の誕生日である今日この日を祝うためにかがり火を焚こうとしているのを見た。そしてご主人さまがお通りになる際、祝砲を数発放った。それで私は、彼らに酒代として20シリングを渡した。
崖のてっぺんから、わが艦隊が同じお祝いのために祝砲を発射するのを目にし、耳にした。実にいい天気で、フランス国内を20マイル以上も見渡すことができた。
船に戻ってご主人さまは、シプリーさんを呼んでセント・ポール大寺院の本を持ってこさせた。それによってわれわれは賭けの結果を確かめたのである。その後、夜食を取り、音楽。そして就寝。
昨晩冷え込んだせいで起きた痛みはまだ残っていて、小便の際に困っている。
本日、国王はロンドン市にお入りになるはずだ。
6月8日*
朝早く、船から降りる。ディールで馬を雇う。国王のギターとフェアブラザー*のために大いに苦労する。この男、ギターを徒歩で持って行ってくれと頼んだのに、行方知れずになりかけたのだ。
カンタベリーに到着。そこで食事。大聖堂とベケット*の墓の跡を見た。
ディックスウェル大佐*の馬がある兵士によって連れ去られ、それがご主人さまのところへ届けられ、ご主人さまは私にロンドンまで運ぶよう指示。シッティングバーンへ、そしてロチェスターへ*。
ヘットリー氏の食事についての間違い*。
チャタムとロチェスターで船と橋*。
グレイヴズエンドに到着。とてもきれいな娘にキスをした。こんな美しい女を見たのは、実に久しぶりだ。
ご主人さまと夜食。下でペンローズ艦長*と遅くまで飲む。遅くに就寝。だがその前に、まず、明日の徒歩の服装のためにいろいろ整えた。くたびれたし暑い。ムーアさん*のベッドで寝る。
6月10日
聖霊降臨日*。朝起きてご主人さまのところへ。それからマーストン氏*のところへ。生意気氏*がいた。父の家に妻がいた。昼食後、妻と私は、リンカーンズ・イン*の散歩道を歩く。お祈りの後、妻は家へ、私はご主人さまのところへ。そこで少し留まった後、父の家へ。フェアブラザーさんに会う。妻といっしょに就寝。
【チャールズ2世がロンドンに入り、いよいよ王政復古が実現。愛する妻エリザベスとの再会を果たしたピープスだが、ますます多忙な日を送ることになる。次回は1660年の12月までを収録します。】