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「トイ・ストーリー4」から感じた、多様な生き方へのメッセージ review by 宅イチロー

トイ・ストーリー4

KKV Neighborhood #27 Movie Review - 2020.07.17

「トイ・ストーリー4」から感じた、多様な生き方へのメッセージ


review by 宅イチロー

今回は2019年夏公開の映画「トイ・ストーリー4」を観て感じた事を書いていこうと思う。トイ・ストーリーのストーリーやプロットは理解していること前提なので、トイ・ストーリー知らないよ!って方は是非4作とも観てみてほしい。本稿はトイ・ストーリーシリーズのネタバレを含んでいる。

トイ・ストーリーの主人公であるウッディはいつだって他者の助けになることに依存してきた。それはもう不自然なくらいに。

最初の持ち主のアンディ、バズやジェシーをはじめとする仲間達、ギャビー・ギャビー、最後の持ち主となったボニー。アンディもボニーにウッディを託す時、「彼は決して友達を裏切らない」と紹介している事からもそれは明らかだ。ウッディは持ち主の成長を助けていく事こそがおもちゃの幸せだと信じてやまなかったし、困っている仲間がいたら危険を省みず全力を尽くす。そういう男だった。それがトイ・ストーリーという物語の推進力でもあった。

「トイ・ストーリー4」では、2代目持ち主ボニーのウッディへの興味は薄く、遊ぶ頻度も少なくなっている。また、あろうことかボニーは先割れスプーンのゴミで作った手製のおもちゃ、フォーキー'にばかり熱をあげている始末だ。

そんな状況であっても、〈おもちゃとしての幸せ〉に固執するウッディは迷子になってしまったフォーキーをボニーの元へ返すことだけが自分の存在意義だと信じ、躍起になる。自分や他のおもちゃを危険に晒してでも、ボニーのお気に入りであるフォーキーを助けることに執着する。俺にはこれしかないんだ、これだけが俺にできる唯一のボニーへの貢献なんだと。

しかし、道中でかつての恋人的おもちゃだったボー・ピープと再会し、彼女が野良おもちゃ(特定の持ち主を持たないおもちゃ)として自主独立し強く逞しく奔放に生きる様や、かつての自分と同じように誰かのため生きる事を強く願うギャビー・ギャビーとの出会いを通し、ウッディは変わっていく。自分の生き方や幸せについて考えるようになる。

ラストシーン、ウッディは自らの〈内なる声〉に耳をすまし、真の意味で自分のためだけに生きる選択をする。持ち主であるボニーや長年連れ添った仲間達と別れを告げ、おもちゃというレールではなくウッディ個人として広い世界で生きていく事を選ぶ。そう、ウッディにとってはここからが本当の意味での「トイ・ストーリー」であり、キャッチコピーであった「あなたはまだ本当のトイ・ストーリーを知らない」〉という言葉が意味するものだと思う。固定化されていた〈おもちゃとしての幸せ〉という呪縛を自ら解いたウッディの眼前には無限の未来が広がっている。僕が知る限り、ウッディが自分自身のためだけに大きな選択をしたことはこれが初めてだ。

「仲間より女(ボー・ビープ)と生きる事を選んだ」や「ウッディの選択はトイ・ストーリー過去作を全否定した」という意見も多くみられるが、僕はそうは思えない。彼の選択は賢明かつ切実で、リアルなものである。なぜなら、ウッディは僕達自身の鏡でもあるからだ。

ウッディが下した決断は、加速する資本主義・消費主義に疲れた我々にもリアルなものとして響く。

日本という国における所謂〈安定〉とは、〈企業に勤め適齢期に結婚し子供を育て定年まで職務を全うする〉という価値観が依然として強いように思える。あらゆる金融システムがサラリーマンの利用を前提として運用されていたり、総理大臣がフリーランスの定義を間違えるような国だ。多様な生き方、働き方への理解がまだまだ進んでいない事のひとつの証左であると思う(総理大臣が無知なだけ、という指摘はあるが)。

僕もまさしく前述したような価値観に囚われている節があるし、ある意味それ通りの人生を送っていると思う。大学を卒業してから10年以上サラリーマンをしており、30年ローンで住宅を買い、今では妻と3人の子供がいる。その事実は人生のあらゆる選択に作用し、僕の行動動機をほぼ決定づける。お金の使い道を考える時、仕事を選ぶ時、住宅を選ぶ時、政治の在り方を考える時。もはや自分の人生は他者のためにあると考える事も少なくない。自分のためにできる事といえばお小遣いでマニアックなレコードを買ったり映画を観ることぐらい。だからこそ、「トイ・ストーリー4」におけるウッディの選択は僕にとって衝撃だったし、深く納得のいくものでした。自分が自分のためだけに人生を選択できるとしたら、どう生きるだろうか。

果たして今と同じところに住んで、同じ仕事をしているだろうかか。もはや虚構に近い〈安定〉に沿ったレール通りの生き方でなく、真にやりたい事、心が選ぶ事を求めるのではないか。こんな考えに至るのはきっと僕だけではないはずだ。きっと皆さんも少なからず他者への貢献を動機に生きている節はあると思う。配偶者や子供の幸せのため、親からの期待のため、会社の利益のため、恋人との未来のため、好きなアイドルのため。

誰もがウッディのような選択をすることはできないだろう。築いてきたものを自ら手離す事は容易いことではない、それが年を重ねるということだ。では、子供たちならどうだろうか。終身雇用が崩れ、かつての大企業が破綻し、事実上の定年は撤廃され、行き詰まりながらもまだ走ろうと躍起になる資本主義、少子高齢化は一筋の光さえ未来に与えない。本当の意味での安定などありえない。そんな状況下、果たしてサラリーマンとして勤めあげる事にどれだけの意味があるだろうか。

だからこそ、僕は自分の子供たちに伝えたい。YouTuberでもバンドマンでもいい、他者への貢献や他者からの期待や旧世代の価値観など意に介さず、自分の生きたいように生きてやりたい事を追及し続けてほしい。お金や名誉が付いてこなくとも、自分の人生を自分のためだけに生きてほしい。名誉は他者から与えられるのでなく、自分が与えるものだと知ってほしい。〈持ち主のために生きること〉それだけがおもちゃの幸せではないのだ。

アメリカ本国では絶賛モードにも関わらず日本で賛否両論だった「トイ・ストーリー4」およびウッディの選択。それは前述した日本古来の価値観に基づく面が大きいのだろう。生き方の形はひとつじゃない。幸せは人の数だけある。そんな価値観が当たり前のものとして受容される社会にならない限り、トイ・ストーリーが日本で完結することはない。

〈僕たちはどう生きるか〉誰もが避けては通れない命題、そのヒントは素晴らしい映画や音楽の中に隠れている。僕たちや次の世代はもっと先に行くべきだ。政治家や資本家たちが想像すらできない無限の彼方へ。

宅イチロー
https://twitter.com/takucity4
http://ongakushitz.hatenadiary.com/

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