毎日全力で生きる
最近人生において大切なものは何なんだろう。
いつか死んで、おそらく100年後にはこの世からいなくなり、私が存在していたことすら忘れられるのに、何のために生きているんだろう。
と考えることが多くなった。
何のために生きるのか。
これに対する答えは、大きな意味などない、というのが答えだと思う。
人はみな大きな意味を持ってこの世に生まれてきていない、別にやるべきことなどないのだろう。
でもこれは自分に意味がないと悲観することではなく、私はむしろ勇気をもらえる考え方と思っている。
別に私はたちは大きな意味を持って生まれていないので、別にいつか死ぬのなら、だれからも期待されていないのなら、自分らしく生きていきたい。
とよく考える。
自分らしく生きるには、人は自分が思っているほど自分に興味がないことを知るという考え方が好きだ。
ユーチューブのフェルミ研究所などにもあったが、他人はずっと自分のことを見ているようで、実はそこまで深く考えていない。
他人が何をしようとも見てないし、害さえ加えなければどんなに親しい友でもそこまで他の人を見ていないことが多い。
それもさっきの理論と同じで、他人なんて結局私のことなど見ていない、仕事でどんなに成果を上げてもどんなに苦しい苦境に立たされたとしても、1週間後には99パーセントは忘れているのなら、他人の目など気にせずに生きたい。
私はこの考え方を意識するようになってからとても気が楽になった。
というのも高校と大学の途中までは他人の目を気にして承認欲求を得るために努力をするという生活をしていた。
でもこの生活はとても苦しかった。
嫌われる勇気という本で、アドラーは承認欲求は人生で必要がない。
と言い切っている。これは他社からの承認欲求は人生において何も良いことがなく、承認欲求を得る生活はしんどいよという内容だ。
でも目標達成するにあたって他社と競い合って、ほめられることにより自分を高められるという人もいるだろう。
結論このやり方は、短期的には良い結果が出ても、長期的に見れば絶対に破綻してしまう。
それは、仮に目標達成したとしても、他人を敵としか見えないので友を失う。さらにもっと他の人の承認を求めてしまうという負の無限ループにか行ってしまうので、このやり方は必ず破綻すると言われている。
じゃあどうすればよいのか、
それは自分の目標を設定し、その目標に対して達成できたか、できないかで一喜一憂するのが正しい。
それをすることにより、他社の承認欲求から解放され、より高みへ行くことができる。
そういう生き方ができれば、毎日全力で生きれるのかな。
人生は一度きりなので、毎日全力で生きて、
死ぬときに生きた!!
といえる人生にしたいな。
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