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ほろ苦さのあとに残るもの

ほろ苦い思い出ばかり蘇ってくるのに、なぜだか嫌いになれない街がある。北海道の新千歳空港から車で40分ほど走ると見えてくるその港町は、わたしにとってそんな場所だ。

お互いの立場を理解して仕事をしていない。入社4年目、本社で働いていたわたしは、上司と飲みに行くたびに、製造現場とのコミュニケーション不足を嘆くそんな言葉を聞かされていた。若手ばかりの話ではなく、中堅やベテランでも、パソコンのキーを叩けば物事が進んでいくと思っている人は、いる。相槌を打ちながら、愚痴として聞いていたその話が、自分に直接関係のあることだったと知ったのはそれから3か月後の異動内示日だった。

「現場を見て、感じて、仲間になってこい。戻って来たら架け橋になってくれ。」

静かな部長室で激励を受けながら、脳内は完全にフリーズしていた。

「・・・頑張ります。」

震えそうな声でなんとかそう言って、よろよろと部屋を後にした。27歳独身女が1人、北海道の工場へ転勤。どうポジティブに考えようとしても、不安しか浮かんでこなかった。

新しい職場で待っていたのは、優しい人たちばかりだった。

あちらから話しかけてくることは少なくても、質問すれば返ってくるのはいつも細やかで丁寧な答えだった。忙しい仕事の合間に、工場内にある機械一つ一つを案内し、運用方法とその背景にある考え方を説明してくれた。お酒が入ると、昼間は口下手な同年代の若手も、熱のこもった現場の仕事論を語った。

この人たちに信頼されたい。好かれたい。いつか頼りにされたい。転勤して半年ぐらいで、少しずつそんな欲が芽生えてはじめた。

やるとなったら妥協ができない性格だ。わたしが意欲を見せれば見せるほど、周りも熱を込めて教えてくれた。誰かが貸してくれた高校の物理化学の教科書を見ながら、必死で説明を聞きノートをとって、週末ひとりで部屋の台所に立ちながら暗記した。平日は、週末に作りおいたおかずをお弁当に詰めていき、残業の合間に夜の給湯室で食べた。最終バスに乗り遅れまいと慌てて着替えて外に出ると、ツルツルに凍った道が工場の灯りで照らされオレンジ色に光っていた。

頑張ってる。このまま頑張ればわかるようになる。信頼されて仲間になれる。そうやって夢中で走っていたあの頃の自分の肩を、できることなら後ろからそっと叩いて声を掛けてあげたい。

焦らないで。足がもつれて転んじゃうよ。

きっとそう聞いても、「大丈夫」とだけ答えて走り去ったと思うけれど。

わたしがどれだけ必死になっても、そんなにすぐに何でもわかるようにはならなかった。当たり前だ。専門学校を出て、何年も現場で働いてきた人たちに昨日今日の一夜漬け知識だけで太刀打ちできるはずがない。

「現場を見て、感じて、仲間になってこい。」。あとから思えば、何もかもわかるようになる必要なんてそもそもなかったのだと気づく。けれど、いつの間にか心と体のバランスを崩してしまっていたあの頃のわたしは、だんだんと考えることから逃げるようになっていった。職場に行くのが億劫で、毎朝社宅前にバスが来るぎりぎりの時刻まで、コートを着たままベッドの中で毛布にくるまっていた。3月も末、全国ニュースが上野公園の賑やかな花見を映し出している頃になっても、北海道では桜が咲くどころかまだまだ雪が降る。夜バスを降りて、防水加工のブーツでズボズボと積もった雪に穴を開けながら、誰も待っていない部屋まで歩いているとどうしようもなく東京に帰りたくなった。ちゃんと待っていればGW頃には美しい薄ピンクの花がそこかしこで咲いてくれるのに。

結局わたしの地方勤務は、周囲のたくさんの人に心配を掛けて、上司との面談の末に、予定より早く切り上げられた。最終出社日、お世話になった人たちに挨拶して回ったときの気持ちはいまでも忘れられない。シャイなプロフェッショナルたちは最後まで口下手だったけれど、もらった寄せ書きには「頑張りすぎてないかと心配して見てました。」という言葉がいくつも並んでいた。こんな気持ちで最終出社日を過ごさない道が、きっとあったのにな。そう心の中で思いながら、あの街を去った。

あれからもう5年が経つ。結婚して出産して、その間に何度か引っ越しをして、いくつかの街で暮らした。

それぞれの街にその時々の思い出が残っていて、いま訪れればきっとどこも懐かしい。けれどもし、どの街での暮らしを一番鮮明に覚えているかと問われれば、わたしは北海道のあの港町の名前を答える。ものすごくわかりやすく挫折を味わった街。記憶を色で表現するなら灰色だ。

それでも、いまよりずっとアンバランスで不安定で若くてばかみたいに真っ直ぐだったあの頃のわたしは、あの街で最高の挫折を経験したんじゃないだろうか、と思う。27歳であの街のあの職場に飛び込んで、ほろ苦い思い出は出来たけれど、あとに残ったのは決して苦さだけじゃなかった。

子どもがもう少し大きくなったら、また北海道を訪れたい。札幌や函館も良いけれど、母にはどうしても嫌いになれない、大切な街があるのだ。

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