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振り返ればいつもそこに

最近1歳を過ぎた娘に、毎晩絵本を1冊読み聞かせている。

ごろんと寝転がって、お気に入りのページに小さな人差し指で触れながら、私の声に時折けらけらと笑って反応する。そんな娘を見ていて、そういえば私のそばにも幼い頃からいつも本があったなぁ、と眠気でトロトロ溶け始めた頭の中で思った。

*

物心ついたときにはもう本に夢中だった。

家の本棚から選び出した絵本を、弟と留守番しながら繰り返し開いた思い出は、私の中に残る最も古い記憶に近い。

幼稚園は、帰り道に母と漫画レンタル屋さんに寄って、『ガラスの仮面』や『クッキングパパ』を少しずつ借りてくるのが楽しみだった。

小学校に上がると、『赤毛のアン』や『大きな森の小さな家』に出会って、物語に登場するりんごの砂糖漬けや手作りバターの味に、想像が膨らんだ。何年生か忘れてしまったけれど(たしか3年生だった)、『メアリーポピンズ』のシリーズ全巻をクリスマスプレゼントに貰って夢中になったのも小学生の頃だった。

中学、高校に進んで、読む本の幅が一気に広がった。部活の疲れに程よい揺れが気持ちよく、眠り込んでしまうこともあったけれど、6年間乗った片道30分間の総武線は、たくさんの本と一緒に過ごした思い出の電車だ。宮部みゆきの『火車』に震え上がったり、重松清の『きよしこ』に涙したり。三浦綾子の『氷点』や『泥流地帯』、『塩狩峠』を読んだのも中学生の頃だったと思う。

高校生になっていよいよ細切れの読書時間しか確保できなくなってからは、特に短編小説やエッセイを読むようになった。部活で怪我をして通った病院の待合室で、吉本ばななや群ようこの短編小説にほっこりと癒され、予備校前に立ち寄ったパン屋のイートインスペースで、林望や角田光代、さくらももこにたくさんの海外旅行へ連れて行ってもらった。

大学生になった私は、授業、部活に加えてアルバイトも始め、いつも忙しく、クタクタだった。少しずつ本との距離が離れていった。けれど、1年間大学を休学して行った海外留学中、読みたい本がすぐそばにある生活がどれだけ幸せかを思い知らされた。あまりに本が恋しくて、数冊だけ持ってきていた荻原浩や瀬尾まいこの小説を、何度も何度も繰り返し、ボロボロになるまで読んだ。留学から戻って、就職活動をしながらそれまで一度も接点のなかった山口瞳や開高健、米原万里のエッセイを読んだ。自分がどんな仕事をしたいかは分からなかったけれど、社会に出て働くことがなんとなく楽しみに思えたのは、彼らの本に知らず知らず背中を押してもらっていたのかもしれない。

社会人になり、仲間とお酒を飲んで過ごす時間と引き換えに、本と過ごす時間はぐっと短くなってしまった。それでも、疎遠になりかけては、たまたま本屋で手に取った黒柳徹子のエッセイや原田マハの小説に、ページをめくる喜びを思い出させてもらい、なんとか細々と本との付き合いを続けることが出来た。

こうして振り返れば、いつの頃の記憶を切り取っても、そこには「読んでよかった」と思える本との出会いがあった。小難しい高尚な本にはほとんど縁がなかったけれど、私を育ててくれたものの一つは間違いなくこれまで手にとってきたたくさんの本たちだと思う。

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これまで私は、自分がいつのまにかなんとなく本を好きになっていたと思っていた。

けれど、その『なんとなく』は両親が作ってくれた環境のおかげだったと、親になってみて気がついた。

自分の足で本屋に行ける歳になるまで、すぐ手の届くところに素敵な本をたくさん置いてくれた。これを読め、あれは読むな、と一度も言わず、代わりに読みたい本に払うお金は惜しまなくていいと言ってくれた。そして何より、いつも読みかけの本を持ち歩き、すきま時間に楽しそうに読書に没頭する姿をずっと見せてくれた。

こういう環境で育ったからこそ、本は私にとって娯楽であり続けたのだと思う。

人との出会いと同じで、素敵な本との出会いは人生を豊かにしてくれる。少し大袈裟かもしれないけれど、私はそう信じている。

隣ですうすうと寝息をたて始めた娘を見ながら、心の中でつぶやく。この子がこれからたくさんの素晴らしい本と出会えますように。

願いを込めて、明日の晩も絵本を読もう。


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