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丸ごと与えよう

Giving

金持ちの男が聞いた。

「与えるということについて話してくださいますか」

彼は答えた。

自分の持っているものを与えるとき

少ししか与えないものだ

自分自身を与えてみよう。それこそ真に与えることになる

持っているものとは、「明日必要になるかもしれない」という恐れで備えておくものに過ぎない

「窮乏になって必要になるかもしれない」という恐れそのものが、つまり窮乏なのではないか

水のあふれている井戸がありながら、なお渇くことを恐れているなら、その渇きは、いつまでも癒やされることはない

たくさん持っていながら、与えるのは少しだけという人がいる

しかも誰かの評価を求めて

せっかく与えたものは腐ってしまう

隠された欲のために

少ししかもっていないのに、すべてを与える人がいる

生命と生命の豊かな恵みを信じているので、彼女の財布が空になることはない

喜びをもって与える人がいる

その喜びが彼のもらうリターン

苦しみをもって与える人がいる

その苦しみが彼女の洗礼となる

与えても苦しむことなく、喜びも求めず、徳を積んだなんてことさえ思わない人がいる

谷間に咲く花がその良き香りを周囲に満たすように与える

これこそ真のGive

そしてそもそも人間が人間に与えるなんていうのは傲慢でしかない

生命に与えるのは生命自身であり、わたしたち人間はその場の立会人でしかない

(原文英語、阪本が抄訳)

詩の作者はハリール・ジブラーン(1883-1931)。レバノン生まれ。

昨日たまたま出会い、人生観が変わるほどの衝撃を受け、あわてて著作を取り寄せた。

コロナ時代のいまこそ、彼の詩をじっくり味わうと染みてくる。

昨日JOYWOWセミナー『ハナウマ』(話をうまくする講座)で紹介し、受講生もみんな感銘を受けたという。

ぼくはもはや「消費者」という言葉は死語だと思っている。

というか、この21年、ぼくの文章の中に使ったことはない。マーケティングでは必須の単語(consumer)だというのに。

なぜなら消費、費やして消えるというのは、もう、ないと思うから。

費やして費やして消し続けた結果、地球は汚染され、大地は削られ、森林は消え、氷河は溶けてしまった。

ビジネスがその目的を変え、地球と共に共存する道を選ばないと大変なことになる。

2009年にポール・ホーケンの本を翻訳したのだが、現実は変わらなかった。

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ところがここにきて、SDGsというわかりやすいメッセージが生まれ、広がり始めている。

消費は終わる、と思っているのは、そもそも消費しきれていないからだ。

カロリーを消費しきれていないからダイエットしなきゃいけなくなる。

モノを消費しきれていないから断捨離しなきゃいけなくなる。

水のあふれている井戸がありながら、なお渇くことを恐れているなら、その渇きは、いつまでも癒やされることはない

というジブラーンのメッセージはまさにいまの人類を言い表している。

商いの定義を変えなきゃね。

商品(製品・サービス)をどれだけたくさん売るか

から

(商いをきっかけとして)

「人と人がどれだけたくさんのJOY+WOW+LOVE and FUNを循環させることができるか」

だからますます個人や小さな商店・会社のほうが商いにとって有利な環境になる。大企業は匿名だからね。

そして、JOY+WOW+LOVE and FUNは自分が受け取るより先に「与える」ことだ。すべて、全部。

ジブラーンに言わせると、与える、というのもおこがましい。

もう一度、詩を読み返してみよう。

生命に与えるのは生命自身であり、わたしたち人間はその場の立会人でしかない

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